2024年に創業147年を迎える新聞社です。
確かで分かりやすい情報をいち早くお届けすることで、県民読者の幸せに貢献することを使命としています。
新聞紙では新潟県内で70%のシェアがあります。今は「デジタル」を生かした情報発信を強化するべく、社内体制を強化しています。
「歴史に学び、世界の潮流を読む」という姿勢を堅持しつつ、地域に根差した言論・報道機関としての責任を果たしていきます。
ジャーナリズムの原点というべき平和、民主主義、言論の自由を守り、権力からの「自由・独立」を貫くためには「くじけない」「あきらめない」というタフな精神が必要です。新潟日報社では豪雪に耐えた木々が雪解けとともにまっすぐ枝を伸ばすように、どんな逆境にも負けない粘り強さと、挑戦する精神を持った仲間が活躍しています。変化を恐れず、思考し、行動できる人を応援します。
「わがともよ よきふみつづれ ふるさとの みづたのあぜに よむひとのため」-。これは新潟日報の姉妹紙の社長であった歌人・會津八一が社員に向けて読んだ短歌です。「田のあぜで汗水流して働く県民読者のため、正確で分かりやすく有益な記事を書きなさい」と鼓舞しています。県民と喜怒哀楽を分かち合い、運命を共にすることこそが地方紙・新潟日報の存在意義だと考えます。人口減少が地方共通の課題となる中、情報を通じ、日々の暮らしに宿る本当の豊かさを問い続けます。
自由な社風です。編集も営業もとにかく風通しが良い。社是の最初に来るのも「一、自由・独立」です。言論・報道を守るためには、自由な空間で健全な議論が必要だと考えます。一方、自由であることは責任を伴います。だからこそ、やりがいも大きいです。民主主義の自由や地域の自由を伝え、論じるためには自らが自由でなければならないと強く信じています。
事業内容 | 日刊新聞の制作・発行。ニュースサイト「新潟日報デジタルプラス」の運営・管理など |
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設立 | 1942年11月1日
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資本金 | 1億4,250万円
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従業員数 | 524人(2023年4月) |
売上高 | 149億3083万円(2022年12月期)
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代表者 | 代表取締役社長 佐藤 明
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事業所 | ■本社
〒950-8535 新潟市中央区万代3丁目1番1号 ■黒埼本社 〒950-1189 新潟市西区善久772番地2 ■長岡支社 〒940-0082 長岡市千歳1丁目3番43号 ■上越支社 〒943-8545 上越市木田1丁目2番4号 ■東京支社 〒100-0011 東京都千代田区内幸町2丁目2番1号 日本プレスセンタービル2F ■大阪支社 〒530-0001 大阪市北区梅田1丁目3番1-800号 大阪駅前第一ビル8F |
沿革 | 1877年 「新潟新聞」創刊
1942年 新潟日日新聞、新潟県中央新聞、上越新聞が合併し、 「新潟日報」が誕生。発行11955年 新潟市大火。 本社(新潟市東中通)類焼、長岡支社で新聞印刷発行 1957年 全焼跡地に地下1階、地上4階の社屋完成 1964年 6月16日午後1時2分、新潟地震が発生、夕刊発行不能に。 夕方、長岡支社で4ページの写真特集を発行 1982年 本社を新潟市西区善久に移転 1984年 すべての工程から鉛が消える 2001年 BSN、JR東日本と共同で新潟駅に「メディアステーションbanana」を開設 2002年 新媒体「assh」(アッシュ)創刊 2003年 アルビレックス新潟とユニホームスポンサー契約 2004年 ニュースセンターなど一連の社屋整備完了 7.13水害が発生。 10月23日には中越地震が発生し、特別輸送態勢で被災地に新聞を届ける 2005年 新潟大停電が発生。非常用発電で夕刊を発行 2008年 携帯電話向けニュースサイト「新潟日報モバイル」スタート 長岡支社を移転新築、愛称は「メディアぷらっと」 2011年 3月11日に東日本大震災が発生、緊急時相互支援協定に基づき、 「河北新報」、「山形新聞」の発行を支援 2013年 本社機能を新潟市中央区万代に移転。 「メディアシップ」出航。「電子版・新潟日報モア」スタート 2014年 黒埼本社(メディアポート)に「おもしろしんぶん館」を開設 2015年 中学生以上の10代に向けた「fumufumuJ」創刊 2016年 11月夕刊が進化した媒体「Otona+(おとなプラス)」創刊 2018年 上越支社を新築、愛称は「メディアフロント」 2020年 「新潟日報電子版」スタート 2021年 電子版の機能拡充 2022年 創業145年 2024年 「ふむふむスタディー」スタート |
ホームページ | https://www.niigata-nippo.co.jp |