「確かな情報でこのまちを守り、力づけ、おもしろくする」をミッションに掲げる新聞社です。地域に密着した読み応えのあるニュースを発信し、中国地方の皆さんに愛されています。圧倒的な取材力と最高のコンテンツを強みに、「正確で素早い」「興味を引く」「深堀りしたくなる」情報をお届けしています。
中国新聞の強みは何と言っても、地域ニュースの豊かさにあります。行政の動きや選挙報道、町の話題。社会状況を反映した事件・事故。支局の記者はニュースの背景まで、丁寧に取材を重ねます。そういった細やかな取材・編集による記事をお届けすることで読者の信頼を得ています。また地元スポーツの報道にも力を入れています。特に広島東洋カープ、サンフレッチェ広島の報道は質量ともに、トップクラスを誇ります。カープ担当記者のコラム「球炎」や読み物には、読者から共感の声が寄せられ、共に地元のスポーツを盛り上げています。
人類史上初めての被爆地にある新聞社として、「あの日」と、核廃絶を願う声を世界に伝え続けています。2020年度には未解明の原爆被害の実態に迫る本紙の長期連載「ヒロシマの空白」が新聞協会賞を受賞しました。被爆者の高齢化が進む中、「ヒロシマ平和メディアセンター」の紙面では、中高生のジュニアライターが被爆体験を聴く連載「記憶を受け継ぐ」など、ヒロシマ学習に生かせるよう充実に努め、ウェブサイトでは核・平和問題のニュースや連載、論評を多言語で発信しています。
デジタル時代の真っただ中、中国新聞社もデジタル展開を強化し、新たなサービスの開発を積極的に行っています。これまでにホームページ「中国新聞デジタル」の刷新や、広島東洋カープ唯一の公式アプリ「カーチカチ!」の開設などに取り組んできました。デジタル事業をさらなる成長軌道に乗せようと、若い社員もやりがいを感じながら活躍している分野です。いままでにない新しい商品の開発に力を入れるチャレンジ精神を持っていることも中国新聞社の強みです。
社長メッセージ・事業内容 | 中国新聞は2022年5月5日、創刊130周年を迎えました。「地域とともに」。この明治の創刊以来の精神を受け継ぎ、地域と喜怒哀楽を共にしてきました。住民と一緒に課題と向き合い、泣き、笑いを共にする。新聞を毎日読んでくださる読者の皆さまにあらためて感謝いたします。
地域に密着する姿勢は地方紙にとってまさに生命線です。2018年4月にスタートした「こちら編集局です-あなたの声から」では、LINEやメールで募った市民の声を糸口に記者が取材し、実態や課題に迫っています。大所高所からの視点も大事ですが、やはり目線は低く、常に読者や市民と同じ目線にあるべきというのが中国新聞社の方向性です。 明治の創刊から幾多の苦難を乗り越えてきました。最大の試練は、やはり1945年8月6日です。人類史上初の原爆が投下され、広島の街は壊滅、そして中国新聞社も社員の3分の1に当たる114人の尊い命と本社屋を失いました。被爆地の新聞社として、核兵器廃絶や戦争の悲惨さを人類に訴える責務を負っています。 2020年度の新聞協会賞に未解明の原爆被害の実態に迫る本紙の長期連載「ヒロシマの空白」が選ばれました。被爆から75年を経てもなお歴史の空白を埋められることを実証し、「記憶を風化させないジャーナリズムの力を示した」と高い評価を受けました。 被爆からの復興期に策定した社是は「中国新聞の公器としての使命を自覚し、全社をあげての親和協力により、その向上発展を期するとともに、世界平和の確立、民主国家の建設、地方文化の高揚に努力する」とうたっています。ロシアのウクライナ侵攻などを目の当たりにすると、先人の苦闘の歴史の中から生まれた「社是」の精神は、今でも私たちが担うべき大切な役割を教えてくれます。 創刊130周年の節目に、中国新聞社は新たにミッション(使命)とビジョン(将来像)を策定しました。ミッションは「確かな情報でこのまちを守り、力づけ、おもしろくする」、ビジョンは「このまちの未来をともに創造する地域応援企業グループに進化する」と定めました。 新聞社ならではの「確かな情報」を時代に適した方法で磨き上げ、地域を災厄や不正から守り、地域を元気にし、さらには一人一人が生き生きと暮らせるようにしたい。その使命感を胸に、10年後には報道機関からさらに視野と領域を広げ、地域とともに、この先の未来をつくっていく担い手になろうという宣言です。 これまで培った信頼をもとに人と人とをつなぎ、課題をあぶりだし、解決に向けて前進させていく。蓄積してきたデータやコンテンツ、張り巡らせた取材や営業・販売ネットワークを駆使して、人々の暮らしを豊かにする新サービスを提供する。まちづくりの未来図を描き、地域を変えていく。そうした思いを込めた「地域応援企業グループ」に進化するため、挑戦を続けます。 |
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設立 | 1892年(明治25年)5月5日創刊 |
資本金 | 3億円 |
社員数 | 403人(男性318人、女性85人) |
売上高 | 194億円(2021年12月期) |
代表取締役社長 | 岡畠鉄也 |
ネットワーク | 本社:広島県広島市中区土橋町7番1号
備後本社:広島県福山市東桜町12番5号 防長本社:山口県山口市大手町3番6号 3F 3支社(東京、大阪、呉)、2総局(岩国、東広島)、25支局(西広島、北広島、安佐北、大竹、江田島、竹原、尾道、府中、三原、世羅、三次、庄原、安芸高田、岡山、笠岡、井原、周南、柳井、大島、邑智、浜田、益田、松江、鳥取、福岡)、5ステーション(安芸海田、東城、因島、玖珂、光・下松) |
HP | https://chugoku-np.com/ |
発行部数 | 51万9078部(2022年1~6月ABC平均部数) |
沿革 | 1892年5月 日刊「中國」として広島市大手町(現・中区大手町2丁目)で創刊
1908年6月 紙齢5千号を記念し、題字を「中國新聞」と改める 1926年3月 広島市上流川町(現・中区胡町)に新社屋が完成 1931年2月 中国駅伝(福山-広島間)を創設 1937年1月 上流川町で新社屋の中国ビルが落成 1942年5月 創刊50周年を記念し、中国文化賞制定 1945年8月 広島に原爆投下。本社も被災。他の新聞社に代行印刷を依頼し、2日休刊しただけで9日付から発行 1945年11月 広島市郊外の疎開工場から本社屋に復帰し、印刷開始 1952年4月 中国体育文化賞(現・中国スポーツ賞)を制定 1969年9月 広島市中区土橋町に中国新聞ビルが完成。本社を移転 1977年5月 第1回「ひろしまフラワーフェスティバル」開催 1992年5月 創刊100周年 1995年4月 本社工場、井口工場の輪転機5セット、全面オフセット化が完成 1996年1月 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)がスタート 2001年3月 広島市中区の本社に加え、備後本社(福山市)、防長本社(周南市)の3本社制に 2001年5月 印刷工場の福山制作センターが本格稼働 2003年7月 中国新聞のファン組織「ちゅーピーくらぶ」が発足 2005年8月 紙齢4万号達成 2005年11月 廿日市市に新印刷工場の広島制作センター(ちゅーピーパーク) がオープン 2008年3月 1段10字組となる拡大文字を導入 2011年4月 朝刊電子版、本格配信 2011年6月 広島制作センターに輪転機6セット化が完了 2013年12月 ホームページと朝刊電子版を融合したウェブサービス「中国新聞アルファ」スタート 2014年8月 広島土砂災害が広島市内で発生 2015年4月 91年の歴史を持つ、夕刊を休刊 2015年5月 もう一つの朝刊「中国新聞SELECT」を創刊 2016年3月 防長本社を山口市に移転 2016年10月 「中国新聞SELECT」が新聞協会賞(経営・業務部門)を受賞 2018年7月 広島、岡山、愛媛を中心に「西日本豪雨」が発生 2019年5月 新インターネットサービス「中国新聞デジタル」スタート。ユーザーがより手軽に利用できる「中国新聞ID」を導入 2020年2月 新しい備後本社ビルが福山市東桜町に完成。鉄骨7階建て延べ約2千平方メートル 2020年11月 「ヒロシマの空白被爆75年」「ヒロシマの空白 被爆75年 街並み再現」が新聞 協会賞を受賞 2022年5月 創刊130周年 2022年10月 「太田川 恵みと営み」が新聞協会賞を受賞 |
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