2001年前後から、インターネット上でチェーンメールのように広まって、世界的に流布した有名な文章があります。
それが、『世界がもし100人の村だったら』です。
趣旨としては、「世界には63億人(当時)の人がいますが、もしそれを100人の村に縮めるとどうなるのでしょう?」という例えになります。
抜粋すると、「そのうち52人が女性で、48人が男性、30人が子どもで、70人が大人、またそのうち7人がお年寄りになります」といった感じです。
「そして、90人が異性愛者で10人が同性愛者、70人が有色人種で30人が白人、61人がアジア人で13人ずつがアフリカ人と南北アメリカ人、12人がヨーロッパ人であとは南太平洋地域の人です」
そしてこう続くのです、「また、こんなふうにも考えてみてください、村に住む人々との100人のうち20人は栄養が十分ではなく、1人は死にそうなほど、でも15人は太り過ぎで、全ての富のうち6人が59%をもっていて、それはみんなUSAという国の人で、74人が39%を、残りの20人が、たったの2%を分け合っている、全てのエネルギーのうち20人で80%を使い、残りの80人が20%を分け合っていて、75人は食べ物の蓄えや雨露を凌ぐ場所があるが、あとの25人はそうではなく、17人は衛生的で安全な水を飲めず、銀行に預金があり、財布にお金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は村で最も豊かな8人のうちのたった1人だけ、自分の車を持っている人は豊かな7人のうちの1人、村人のうち1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターを所持していて、しかし14人は文字が読めません」
また、こうも言います、「もしもこのメールを読めたなら、この瞬間、あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります、なぜならあなたにはあなたのことを思ってこれを送ってくれた誰かがいるだけでなく文字も読めるからです」
そして、最後、文章はこのように閉じられるのです、「まずあなたが愛してください、あなた自身と、人がこの村に生きてあるということを、もしもたくさんの私達がこの村を愛することを知ったなら、まだ間に合います、人々を引き裂いている非道な力からこの村を救えます、きっと」と。
確かに、上を見れば果てしなくキリがないし、下を見たってそれは一緒。
現状への不平・不満や愚痴だって、そりゃ出てくるだろうさ。
それでも、こんな時だからこそ、自分が如何に恵まれているのかを、自ら学び思い知り、そしてこのどうしようもなく歪な世界を心より愛することから始めよう。
てなことで、それではまた。