「平等(Equality)」と「公平(Equity)」、似たような言葉だが、当然ながら意味が違う。
上の絵のとおり、「平等(Equality):左側」は身長が違う3人に、それぞれ同じ高さの踏み台を提供すること。
一方、「公平(Equity):右側」は、違う身長の3人が、同じ高さの目線になるように踏み台の高さを調整して提供されること。
もともと、このサービス(踏み台を提供する)ことの目的は、野球の試合を観るためのものである。
であるとするならば、そもそも、左の青いシャツの大人には踏み台を提供してあげる必要すらない。
しかし、一番小さい紫のシャツの男の子はというと、一律平等な踏み台提供のサービスを受けたところで、可哀そうなことに大事な試合は全く観戦できていない。
そして、一番大事なことは、両方とも使われている踏み台の総数は変わっていないということなのである。
互いが、互い同士の違いを認識して、同じ目線になるように、必要のない自分の踏み台を、足りていない隣人に与えてあげる思い遣りの気持ちが大事なのだと思う。
もちろん、踏み台を2個重ねることに対しての安全対策にも万全を尽くすことが望まれる。
色々な分断が生まれ、様々な差別もなくならない現実があります。
色々と、社会が混迷、困窮してくるであろう社会において、一人でも悲しむ人が生まれぬよう、より「公平(Equity)」であれと私は願うのです。
皆様は、如何でしょうか?
それではまた。