これが私の仕事 |
羽田空港の整備工事を完成させる任務 羽田空港の敷地内には無数のケーブルが埋め込まれており、重機で1本でも切断すれば空港の機能がストップ。羽田空港が止まれば、日本が止まる。重大責任を負わされたミッションでした。
地面を掘る際には絶対ケーブルを切らないよう、あらかじめレーダーで測定しなければならない。そして現場は東京。身近に頼れる人はいない…。すべてを自分で解決するしかありませんでした。
書類作成だけではなく、予算編成、下請業者との見積折衝、図面作成、現場での陣頭指揮、ミーティングなど、業務は多岐に渡りました。
特にミーティングは空港担当者に加え、航空会社数社を交えた打合せを1日に何件もこなさなければなりません。
この時の自分を支えていたのは、“中村建設の代表”という看板。自分を奮い立たせ仕事に挑みました。 |
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だからこの仕事が好き! 一番うれしかったことにまつわるエピソード |
続・羽田空港の整備工事を完成させる任務 工事竣工時に、「良い出来栄えでありがとうございます」と、空港局からも高い評価をいただくことができました。協力業者の存在なくしては、この工事は成し遂げられませんでした。「みんな、大変だったけれど協力してくれてありがとう!」と心から感謝しています。
多くの人たちが自分を信じ、ついてきてくれた。その事実が何よりも嬉しかったです。
一生懸命、とことん仕事を楽しむ。…そんな毎日を、過ごしました。
「人よりもいい仕事がしたい」という気持ちで、このプロジェクトを成し遂げました。建設技術者は、自分の裁量ひとつで億単位の金額と何十人もの職人を動かし、未来へ受け継がれる景色を造り上げます。私は担当した現場の完成を見るたびにいつも胸がこみ上げてきます。 |
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ズバリ!私がこの会社を選んだ理由 ここが好き |
唯一僕を落とした会社。悔しかったから入社しました。 就職は地元企業を希望していました。県内の大手ゼネコンを何社か受け、その中で中村建設だけが不採用通知でした。後日、補欠合格の連絡が届いた際に、悔しかったので入社を決めました。
その理由は、他の会社が認めてくれたのに中村建設だけが補欠合格。どれだけすごい人たちがいるのか自分の目で確かめたいという興味があったからです。
建設業に絞っていたのは、ゼネコンという言葉に魅かれただけでした。入社後、同期とは能力の差があり、測量もできませんでした。専門用語が飛び交う中で自分だけが理解できませんでした。
仕事ができないのはカッコ悪い…それから誰よりも仕事を頑張り、今では全国規模の技術発表会で賞も受賞できるようになりました。
「仕事ができる私はカッコイイ!」これが私の大事にしている美学です。 |
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これまでのキャリア |
現場施工管理で担当した現場は、国土交通省、中日本高速道路発注の道路建設工事、及び、浜松市発注の鉄道高架、排水路、下水道工事等多数。国土交通省、浜松市から優良工事表彰を受賞。技術士も取得。 |