これが私の仕事 |
被災地への関心を風化させないために、伝える責任がある。 特定の記者クラブに所属せず、普段は熊本地震や医療の取材を担当しています。
地震で家族を失った人や、土砂崩れで長期の避難生活を余儀なくされている地区の取材をしています。
避難者の多くが仮設住宅やみなし仮設に移り、一見落ち着いたように見える被災地ですが、生活再建に向けた被災者の不安は尽きません。
風化させないために、「伝える責任」を感じています。 |
|
だからこの仕事が好き! 一番うれしかったことにまつわるエピソード |
同じコトは2度とない、毎日が新鮮な出会いに満ちた仕事です! 毎日、新しい人や事象に触れることができることです。
熊本での勤務を振り返ってみると、2年間担当した警察取材にしても前年と全く同じ仕事はありませんでした。
また、取材テーマが同じでも、執筆する記者次第で原稿の切り口も変わってきます。個性の出る面白い仕事だと思います。
2014年11月、県警の交通事故防止の取り組みにあわせ、バイク事故で大学生の息子を亡くした家族を取材しました。
「乗っていたバイクも修理をして動くようになった。残された物は全て動いているのに、なぜ息子だけが……」。
母親の言葉が胸に刺さりました。
日々、起こる交通死亡事故は紙面上は、10行程度の短い記事ですが、そこには残された「家族」や「友人」がいることを忘れないようにしたいと思った取材でした。 |
|
ズバリ!私がこの会社を選んだ理由 ここが好き |
地方でありながら、全国を視野に働けることが決め手。 学生時代、アジアや南米など30か国近くを旅し、1年間ドイツに留学もしました。
「年齢、性別、肩書、国籍を問わず、いろいろな人に会いたい」という思いが高まり、新聞記者という仕事に興味を持つようになりました。
読売新聞は全国紙でありながら、東京本社、大阪本社、西部本社(福岡)の3本社体制を敷いているので、入社する本社によって働く地域を選ぶことが出来ます。西部本社の管内では、沖縄の基地問題、原爆投下のあった長崎、熊本の水俣病、ハンセン病などたくさんの重要な取材テーマを抱えています。地方でありながら、全国を視野に働けるということが入社の決め手となりました。 |
|
これまでのキャリア |
入社1年目(2013年)熊本支局(西部本社)>入社3年目(2015) 製薬大手で不正が発覚。東京の応援も入り、取材に奔走した>4年目(2016) 震度7を観測した益城町へ。息の長い地震取材が始まった |