これが私の仕事 |
プリント基板用プレス機など各種プレス機械の設計から納品まで一貫して担当 お客様との仕様打合せから見積もり、設計・製作図の作成、さらには完成後の試運転・据付・引き渡しまで、一つの製品に一貫して携わっています。若い頃は、上司から任された「モノづくりの一部分」だけの担当でしたが、今は全工程を任されている。大変ですが、それが何よりの醍醐味ですね。
お客様は、プリント基板や自動車、航空機など様々な製品を手掛ける世界中のメーカー。いわゆる超有名企業も多々あります。そうしたお客様のモノづくりに欠かせない「生産機械」を私たちが作り、納めているわけです。プロジェクトとして動く仕事には、設計者としての知識だけでなく、コミュニケーション能力も求められる。プレッシャーも感じる中で、自分が設計した機械が思った通りに動き、お客様のモノづくりが成立する…大きなやりがいがあります。 |
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だからこの仕事が好き! 一番うれしかったことにまつわるエピソード |
経験した仕事の3倍のボリューム!中国メーカーからの破格の発注に武者震い 最近やった中国企業からの案件で、すごく大きな仕事があって。プレッシャーは感じましたが、武者震いするようなやりがいもありましたね。これまでやってきた仕事を1とすれば、その3倍くらいのボリューム。プレス機1台だった受注が、一気に5台来ちゃったという感じで、金額的にも大きいし難易度も格段に高い。
特に、最近の基板用プレス機は中国が主戦場になっていて、中国メーカーの発注規模の大きさや意思決定の速さには驚きを感じています。仕事としても判断が速いのでやりやすいし、経験のないような規模だったり、技術にも難しいテーマにチャレンジできるので面白いんですよ。そんな仕事に、部下も含めてチームで取り組んでいます。新しいチャレンジをすれば、成長できる。思えばこれまでずっと、わくわくしながら仕事をしてきましたね。 |
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ズバリ!私がこの会社を選んだ理由 ここが好き |
地元・福山に生産機械のグローバルメーカーあった!就職してその凄さを実感 キッカケは大学の就職部からの紹介でした。地元・福山の会社だったし、私が就活していた頃は「就職氷河期」と言われていたほど厳しい環境でしたから、内定をいただけただけでありがたかった…。と、そう言うと何だか後ろ向きな感じに聞こえそうですが、それが正直なところです。でも、それが結果オーライだったわけで。
学生の頃に持っている知識ってほんの少しですからね。知っている会社もほとんどない。今振り返れば、まさか地元・福山に、世界中のメーカーから頼りにされる「技術立社」の生産機械メーカーがあったとは!故郷に居ながらグローバルな仕事ができるとは!技術者としても常にチャレンジングなわくわくするような仕事をやってこれるとは!何もかもが、就活をしていた当時には想像もしなかったこと。すごくラッキーな出会いでした。 |
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これまでのキャリア |
2001年 入社後、技術部に配属
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2002年 製造部に異動(教育訓練)
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2003年 技術部に復帰
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2009年 ソーラー事業に異動
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2011年 技術部に復帰し、現在に至る |