業種 |
精密機器
コンピュータ・通信機器・OA機器/医療機器/家電・AV機器/総合電機(電気・電子機器) |
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本社 |
長野
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直近の説明会・面接 |
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●ライフルスコープ、双眼鏡、スポッティングスコープ、その他光学機器の開発・製造・輸出
ライフルスコープは100点以上を組み合わせた精密機械にも関わらず、発砲時に1000Gもの衝撃がかかります。この衝撃に耐え、かつ見え味・操作性に優れた製品を作るために、設計(光学・メカ)技術はもちろんのこと、精度の高い加工技術、緻密な組立て技術を磨き、トップシューターに愛用される製品を世界中に輸出しています。
「自信を持って、諏訪から世界一を目指している、と言える会社にしたい。世界一の技術を持つ社員を育てたい。これが社長である私の大きな夢です。景気の波に左右されず、不況に負けない、無くならない会社。そのために必要なのは、やはり世界最高峰の技術であり、常に必要とされ、愛され続ける製品です。もちろん社員のレベルアップも欠かせません。各種の教育制度や研修も用意していますが、本人の意欲が最も大切です。会社全体が常にワールドベスト(世界の頂点)を目指しているからこそ、1人ひとりがそのことを意識して成長していくことができるんだと思っています。」 代表取締役社長 岩波 雅富
確かな技術力と高い加工精度により、日米欧の射撃愛好家の方より根強い支持を得ている当社。80点から150点もの部品からなる双眼鏡やライフルスコープは、ミクロン単位での高い加工精度が要求されます。当社の高い技術力を支えているのは経験豊富な技術者達。その中には入社3か月にもかかわらず新たな技術を生み出し、先輩技術者に展開した社員もいます。設計課のその社員は、熟練の技術者でも苦戦する部品の調整を担当した際、試行錯誤の末、50分かかっていた部品の調整時間を1分まで短縮することに成功しました。自ら問題意識を持ち、取り組む姿勢があれば、経験問わず活躍の場は無限にあるのです。
当社のライフルスコープは、「ミクロの製造技術」と「神業的な組み立て技術」により、わずか30cm程の中に100以上もの部品が組み込まれた最高の製品です。それは、同じ設計図を使っても同じ製品は作れない、真似のできない技術によるものです。当社では、部品の組み込み、締める強さなど、最終確認は熟練の職人さんがします。また、外部から仕入れる部品にも高い精度が求められるため、優秀なものづくり企業が長野県に集まっていることも、当社の利点の一つです。ライフルスコープ、双眼鏡を大切に伸ばしつつ、光学、加工、製造の技術を生かした商品開発、医療向けの事業の立ち上げも推進しています。
事業内容 | ライフルスコープ、双眼鏡、スポッティングスコープ、その他光学機器の開発・製造・輸出
・創業は1956年。双眼鏡の下請メーカーとして長野県諏訪市に誕生しました。 当時はこの分野の後発であり競合も国内で100社を超えていたため、下請からの脱却を模索。カメラや顕微鏡の製造などを手掛けながら出会ったのが、現在の主力製品である「ライフルスコープ」でした。 ・ちょうど米国でレジャーやスポーツとしてのライフル射撃に人気が出始めていた時代。当初から日本ではなく海外を主力マーケットとして考え、苦労しながらも米国での販路を開拓し、徐々に成功を収めていきました。 ・その後、多くのメーカーがライフルスコープ市場に参入し、最盛期には国内30社以上が乱立しました。そこでライト光機が取った戦略は「最高級品への特化」。他社が真似できない技術とノウハウの蓄積により、市場で確固たる地位を築いたのです。現在では、双眼鏡メーカーもライフルスコープメーカーも国内は数社しか残っていません。 |
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設立 |
1956年(昭和31年)2月 |
資本金 | 2,500万円 |
従業員数 | 248名(パート・アルバイト含む) |
売上高 | 74億円(2024年8月期) |
代表者 | 代表取締役社長 岩波 雅富 |
事業所 | 本社、第2工場/長野県諏訪市 【長野・南信エリア】
東京営業所/東京都千代田区 |
会社沿革 | 1956年02月 長野県諏訪市に有限会社ライト光機製作所を設立、双眼鏡メーカーとして発足
1958年06月 事業の発展に伴い、諏訪市南沢に本社工場を新築移転。ライフルスコープの生産を開始 10月 組織変更により株式会社ライト光機製作所となる 1962年12月 顕微鏡の生産を開始 1964年06月 通商産業大臣より輸出貢献企業として認定を受け、その後毎年連続認定を受ける 1966年07月 生産規模の拡大に適応させ合理化の進展を図るため諏訪市中洲に新工場を建設。その第一期工事として機械工場を新築する。 1970年06月 長野県飯田市に株式会社飯田ライトを設立し、レンズ加工及び組立工場を建設する 1977年08月 高松宮宣仁殿下、喜久子妃殿下御視察のため御来駕を賜る 1990年04月 岩波啓富社長(当時)産業功労(貿易振興)により勲五等双光旭日章叙勲 06月 岩波啓富社長(当時)諏訪商工会議所会頭に就任 2004年11月 岩波章八社長(当時)諏訪商工会議所会頭に就任 2005年11月 創立50周年記念式典 2007年06月 経済産業省中小企業庁より「元気なモノ作り中小企業300社」に選定される 2009年02月 経済産業省製造産業局より「雇用創出企業1400社」に選定される 05月 生産体制強化のため新社屋を建設し、太陽光発電システムを導入する 2010年01月 新工場落成、創立55周年式典を開催 2013年01月 岩波雅富社長(当時)が日刊工業新聞社より「青年経営者賞」を受賞する 10月 ものづくり大賞NAGANO2013「大賞」を受賞するNAGANOものづくりエクセレンス2013に認定される 2014年09月 諏訪市中洲の精密工業団地内にて第2工場の稼働を開始する 2015年04月 「第27回中小企業優秀新技術・新製品賞」奨励賞を受賞する 07月 本社建て替えの第三期工事によって新本社社屋が竣工する創立60周年記念式典 2016年06月 株式会社飯田ライトを第2工場内に移転し、株式会社LIGHT GLASSに名称変更 2019年10月 創立65周年を迎え、記念式典を行う 2022年11月 生産体制強化のため本社工場第四期工事を行い増改築/長野県SDGs推進企業に登録 2023年12月 岩波雅富社長(当時)EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2023ジャパン甲信越地区代表に選出 2024年11月 創立70周年を迎え、記念式典を行う |
ライト光機のここがスゴイ! | ●900メートル先の直径15センチの標的を狙う「ベンチレストシューティング」
肉眼では全く見えないような、1000ヤード(約900メートル)先の小さな標的を狙うライフル競技。それが「ベンチレストシューティング」です。 日本ではあまり馴染みがありませんが、米国では愛好者が多く、競技会で表彰台に上る選手の多くが「made in 信州・諏訪」のライフルスコープを装着した銃を使用しています。 ●妥協の許されない「精度」「耐久性」「信頼性」 トリガーを引いた瞬間の弾丸の速度や、風・温度・湿度など様々な環境要因が命中精度に影響を及ぼします。距離が長くなれば長くなるほど、照準を合わせるライフルスコープの重要性が高くなります。 まず必要とされるのは衝撃に耐える強さ(耐久性)。発砲の瞬間には最大1000Gから1200G(重力の1000倍から1200倍)もの力がかかります。それに耐え「何発打っても、絶対に照準がずれない」製品を作り出せる技術力が当社の強みです。 同じライフルスコープでも安価な普及品は約100ドル程度。対してライト光機の高級製品は約3000ドル以上。高級品としてお客様に信頼していただけるような製品を生み出しています。 ●精密技術の集合体 ライト光機のライフルスコープは、電子部品を一切使わない精密機械です。熟練の技術者による「ミクロの加工技術」と「精緻な組立技術」の2つが一体となった時にのみ、高精度と耐久性を誇る製品が生まれます。 例え同じように見える部品であっても、数ミクロンの極小な差があり、それを寸分の狂いもなく組み立てる技術が、当社の強みとなっています。 |
なぜ諏訪なのか? | 社長は「諏訪でなくてはだめなんです」と語ります。その理由は、優秀な職人さんがいること。部品の組み込みや締める強さ、最終チェックは熟練の職人さんでなければできないからです。優れた職人さんを数多く抱えていることがライト光機の強さの源泉になっています。
そしてもう一つの理由は、地域のつながりです。長野県は「信州ものづくり」として、伝統的に強い技術を持った企業が集まっています。外部から仕入れる部品にも高い精度が求められるだけに、優秀なものづくり企業が地域に集まっていることが、ライト光機にも大きなメリットになっているのです。 |
今後の成長戦略 | 「オンリーワンの技術でワールドベスト(世界の頂点)を目指す」ための戦略として、まずは世界最高級の商品を産み出し続けること。そのために、品質を磨き、製品開発に力を入れています。
特許技術を取得し、今よりももっと高品質かつ”ライト光機でしか作れない”製品を世界に生み出し続けていきたいと強く考えています。 |
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