―新たな浪江町の歴史を創造していく人材を募集―
浪江町では、国家プロジェクトの福島国際研究教育機構(F-REI)をはじめ、一流の建築家が手掛ける駅周辺の再開発事業の本格化、再生可能エネルギーを利用した水素社会の実現に向けた取り組みなど、新たな「浪江町」を創るプロジェクトが多数進行しています。
試験方法は従来の公務員試験とは異なり、公務員試験のための特別な準備を必要としない「SPI方式」を採用しています。
福島県沿岸の北部に位置し、双葉郡に属する福島県浪江町(なみえまち)。2011年3月11日の東日本大震災、および東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生により、約2万1000人の浪江町民が全国への避難を余儀なくされ、一時期は町内に暮らす人が0人に。町内への居住が再開したのは震災から6年が経った2017年でした。2025年1月末時点の居住人口は2256人で、震災前の1割程度となっています。この困難な歴史を乗り越え、新たな一歩を踏み出した浪江町は、独自の視点からまちづくりを進められる希少な機会を得て、あらゆる可能性に満ち溢れ、これから復興のときを迎える町だといえます。
浪江町は震災以降、原子力や化石燃料に頼らない「エネルギー地産地消のまちづくり」を理念として掲げ、ゼロカーボンシティを推進してきました。今後もこの取り組みを前進させるため、「浪江町地球温暖化対策総合計画~なみえエネルギーチャレンジ2035~」を策定し、町が一丸となって動いています。中でも特に注力しているのが水素の利活用。2ヶ所の水素ステーションと約80台のFCV(水素などの燃料を使用しモーターを駆動させる車)の導入をはじめ、世界最大級の再生可能エネルギー由来の水素製造施設「福島水素エネルギー研究フィールド」も設立されました。公共施設での水素利用も始まり、町全体で水素を利用する環境を構築しつつあります。
2023年4月、新たな復興のフェーズを迎えていた浪江町に「福島国際研究教育機構(F-REI)」が設立されました。この機構はイノベーション・コースト構想の司令塔であり、「創造的復興の中核拠点」となるもの。今後は機構が中心となり、国・県・関係市町村との連携を図りながら、研究開発・産業化・人材育成・司令塔の4機能を発揮するための取り組みを推進します。また2024年3月には、国際的なまちづくり、また町内のみならず広域的な地域の賑わい創出や住民生活向上を目指し、「浪江国際研究学園都市構想」を策定しました。今後は浪江駅周辺整備エリアとF-REIの敷地を中心としたキャンパスタウンを形成し、持続可能な都市整備を進める予定です。
事業内容 | 1889年(明治22年)の町村制施行により誕生した浪江村は、1900年(明治33年)に浪江町となり、1953年(昭和28年)10月に請戸村・幾世橋村と合併、次いで1956年(昭和31)年5月1日に大堀村・苅野村・津島村と合併して、現在の浪江町が誕生しました。
浪江町は、海、山、川に囲まれ、豊かな自然を誇り、大堀相馬焼やなみえ焼そばといった名産品でも有名です。 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生して以降は、福島県内外での避難生活を余儀なくされた町民が少しでも早く「帰還できる・帰還したい」と思えるよう、国・県と連携し環境整備に取り組んでいます。 《浪江町まちづくりビジョン》 夢と希望があふれ、住んでいたいまち、住んでみたいまち |
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設立 | 1956年5月(大堀村・苅野村・津島村が合併して誕生) |
資本金 | 地方公共団体のため、資本金はありません |
従業員数 | 総数355名 うち正職員179名
国・福島県・他自治体民間からの応援職員:66名 会計年度職員:67名 町任期付職員:43名(令和6年4月1日時点) ※応援職員の方も含め、多様な出自の職員から構成されています |
売上高 | 地方公共団体のため、売上高はありません |
代表者 | 町長 吉田 栄光 |
事業所 | ◎本庁舎/福島県双葉郡浪江町大字幾世橋字六反田7-2
◎津島支所/福島県双葉郡浪江町大字下津島字松木山22番地1 ◎二本松出張所/福島県二本松市槻木253-8 ◎福島出張所/福島県福島市渡利字舟場2-1 ◎いわき出張所/福島県いわき市平南白土1丁目5-12 |
浪江町ホームページ | https://www.town.namie.fukushima.jp/ |
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