業種 |
金属製品
建材・エクステリア/その他製造/商社(金属)/商社(建材・エクステリア)
|
---|---|
本社 |
大阪
|
金網と言っても、一般的にイメージされる焼肉用や茶こしの金網とは違います。フィルターやストレーナーなどあらゆる分野の心臓部に使われる「ハイメッシュ」と呼ばれる、シルクの様な薄くて目の細かい金網の製造を得意としています。
最近では、建築装飾用のデザインメッシュにもフィールドを拡げています。そのビジネスの魅力はテレビ番組でも紹介されています。
私たちは、金網で未来を切り拓くことを目指しています。
あなたは、「金網」と聞いて何を想像されますか?ザルや茶こし?フェンス?・・・どれも正解です。しかし、それらは私たちが扱っている製品・商品のごく一部でしかありません。たとえば、私たちが製造している金網の中には、クモの糸のような16μの太さのステンレス線を用いて製網されるシルクのような特殊な製品もあるのです。そして、それらはあらゆる産業の心臓部、例えばフィルター・ストレーナーなどの濾過用として、さらに精度を要求される電磁波シールド、スクリーン印刷、航空宇宙工学、半導体、その他ハイテク産業用などあらゆる場面で活躍しています。
写真の絵は、私たちの本社がある大阪府松原市の市役所エントランスに飾られた「民衆を導く自由」(ウジェーヌ・ドラクロア作)です。この絵が「実は、金網でできている」と言ったら、驚く人は少なくないかもしれません。これまで工業用に供してきた金網を建築装飾用に販売する中で、開発に成功したジャガード織機を用いた金網製網技術を活かし、躍動感のある繊細なタッチを網に託しました。緻密な図柄の表現は、何度も紋を書き換えることで実現しました。細やかではありますが、私共の情熱が地域の活性化と地場産業の発展に繋がるようにと期待し、官民が力を合わせた新しい展開につながることを願っています。
金網の用途は多種多様なので、お客様が求めている製品もそれぞれ違います。そのお客様のニーズに応えられる製品造りをしています。現状に満足せず常に上を向いていて業界で一番を目指しています! (製造部 部長 男性)入社したばかりの頃は、不安でしたが、先輩はわかるまで優しく教えてくれました。カザリ通しや筬入れなど、一つ一つの作業に心を込めてしています。先輩方と仕事をしていく内に本当に皆さんが楽しくしていることを目の当たりにし、私もそうありたいと思い、楽しく仕事をさせて頂いています。そして、皆が仲良く、お客様のことを第一に考え、お互いを助け合っている会社だと思います。 (製造部 女性)
事業内容 | ●各種金網の製造・販売
金網と言っても、一般的にイメージされる焼肉用や茶こしの金網ではありません。 フィルターやストレーナーなどあらゆる分野の心臓部に使われる「ハイメッシュ」と呼ばれる、 シルクの様な薄くて目の細かい金網の製造を得意としています。 ・織金網 ・クリンプ金網 ・溶接金網 ・ウェッジワイヤースクリーン ・デミスター ・スパイラル金網(コンベアー金網) ・積層金属フィルター ・積層金属不織布フィルター 等 ●各種金網の二次加工 ・レーザー加工 ・スリット加工 ・丸切り ・スポット溶接等 ●金網加工品(各種フィルター・ストレーナー等)の製造・販売・網の張替え ●その他線材加工品の販売 ●装飾用デザインメッシュの企画・製造・販売・施工 最近、建築装飾用のデザインメッシュにもフィールドを拡げています。 そのビジネスの魅力はテレビ番組でも紹介されています。 私たちは、金網で未来を切り拓くことを目指しています。 |
---|---|
創業 ・ 設立 | 創業 1961(昭和36)年6月
設立 1976(昭和51)年1月 |
資本金 | 1000万円 |
従業員数 | 28名 |
売上高 | 6億9360万円(2024年12月実績)
|
代表者 | 代表取締役 東田龍一郎 |
事業所 | 本 社 / 大阪府松原市岡6-1-25
堺工場 / 大阪府堺市北区八下北5-15 |
沿革 | 1934(昭和9)年 大阪府松原市阿保にて個人創業
1961(昭和36)年6月 大阪府松原市阿保にてマツバラ金網製作所を創業 1970(昭和45)年6月 業務拡大に伴い、本社工場を大阪府松原市大堀新築移転 1971(昭和46)年5月 津田駒工業製「高速レピア式自動織機」を導入、運転開始 以降織機を順次入れ換え、高能率化への先鞭をつける 1972(昭和47)年11月 伸線工場を大阪府松原市阿保にて操業開始 1974(昭和49)年11月 奈良工場工事完了、操業開始 1976(昭和51)年1月 業務拡大に伴い、マツバラ金網株式会社を設立、業務を引き継ぐ 1980(昭和55)年8月 大阪府柏原市国分に新工場予定地を確保 1982(昭和57)年2月 柏原工場第一期工事完了、操業開始 1987(昭和62)年5月 京都繊維機器製・最新鋭機「RGK」を導入、運転開始 以降増台 1989(平成元)年3月 柏原工場第二期工事完了 1992(平成4)年2月 共立製作所製「KR」を導入、運転開始 以降増台 1996(平成10)年1月 本社工場を大阪府松原市岡に新築、移転 2004(平成18)年7月 松原金属糸網 上海準備室 開設 2005(平成19)年6月 経営革新計画 承認 2005(平成19)年11月 ISO9001 認証取得 2006(平成20)年9月 平成20年度 大阪地域創造ファンド 地域支援事業に採択 2006(平成20)年10月 西鐵工所製「NS」を導入、運転開始 2007(平成21)年9月 ひがしんビジネス大賞 特別賞を受賞 2008(平成22)年2月 地域産業資源活用計画 認定取得 2008(平成22)4月 大阪の元気!ものづくり企業「匠」Excellent Company of OSAKAに選ばれる 2012年(平成26)3月 澁谷工業製 炭酸ガスレーザー加工機 「SPL3712EA/SSL400」を導入、運転開始 2014(平成26)11月 独立行政法人中小企業基盤整備機構主催 新価値創造展2014にて、ベストH!NT賞 新価値部門を受賞 2015(平成27)11月 独立行政法人中小企業基盤整備機構主催 新価値創造展2015にて、新価値創造賞 アイデア部門を受賞 2023(令和5年)6月 脱炭素経営宣言登録 |
マイスター/フェロー制度 導入 | キャリアプランとして、従来の「課長代理、課長、次長、部長、工場長」といった管理職として進む制度に加えて、製造系には、「ゲゼレ、マイスター、レジェンドマイスター」と進むマイスター制度、営業系には、「スペシャリスト、エキスパート、フェロー」と進むフェロー制度を導入し、専門的技術を持った人を尊敬し、支援しています。 |
美味しくモノを食べる | 私たちは、「一生懸命」に仕事をするより、「仕事を好き」になって欲しい。と考えています。
もちろん、生活を支えるために直向きに仕事をすることの尊さを否定するつもりはありません。 「一生懸命」という言葉には、サボりたいけどサボらずに頑張るという意味が含まれているのかも知れません。たとえば、「一生懸命」と言う言葉の後ろには、仕事する、勉強する、練習するなどの言葉が続きますが、遊ぶ、食べる、楽しむと言う言葉は続きません。そして、仕事や勉強、練習にはサボると言う言葉が続きますが、遊びや食べること、楽しむことをサボるとは言いません。 たとえば、誰しも「美味しいモノを食べる」ことは好きだと思いますが、それを楽しむだけではあなたの人生を活かしきれているとは言えないような気がします。なぜならそれは、美味しい素材を美味しく料理をする人が居て食べることができるという受動的行為だからなのです。それより、「美味しくモノを食べる」という能動的な行為に変えてみませんか? 同様に、もし、「好きなことを仕事にする」ことが叶えば、最高の幸せかも知れませんが、それはそれで大変なことのように思います。たとえ好きなことであっても仕事となれば、自分がやりたいことを抑制し、お客様の意向に合わせなければならないこともあるかも知れません。そうなれば、好きだったことも好きでなくなることもあるのではないでしょうか? しかし、「仕事を好きになる」という能動的行為なら、どうでしょう。誰しも好きなことをするときに手を抜いたりサボったりしない筈です。ですから、「一生懸命に仕事をしなければ」と思わず、仕事を好きになれば、きっと熱もこもり、気がつけば一生懸命になれている筈です。 |
網屋の信条(創業から守り続けて居ること) | 創業から伝わる変わらない想いがあります。新たなことへ挑戦することを大事にしていますが、同時に変えてはいけない信条はこれからも守り続けていきます。
◆線を盗むな、目を盗むな 使用する材料の線の太さや目合いをごまかしたりせず、誠意を以て製品づくりをすること。 ◆五尺の道を五尺で歩けるように 他人に迷惑をかけたり諍いごとを起こして身内(社員や家族)が肩身の狭い思いをさせないこと。逆に派手なことをして道を急激に拡げることなくコツコツと仕事すること。 ◆人は城、人は石垣 縁あって入社した社員、いつもお世話になっている外注先や仕入先、さらには地元の方々への恩を忘れず常に感謝し大事にすること。 |