当社はみすず飴をはじめ、手造りにこだわった四季のジャム、生ゼリーなど、和菓子や洋菓子を中心に製造・販売しています。こだわりの素材も、思わず口をすぼめてしまう酸っぱい夏みかん、紅玉に桑の実、かりん、金柑など豊富に取り扱い、試行錯誤を繰り返しながら質の高い商品開発を行っています。
入社して最初の1年は研修期間となり、主に店舗での販売業務・通信販売での電話応対業務のほか、果物の果実加工などの製造部門での業務を交えながら、経験を積んでいただきます。1年の研修期間を終えますと、いよいよ経験を生かした配属先が決定していきます。最初は覚えることも多く大変だとは思いますが、職場では先輩スタッフがしっかりフォローいたしますので、ご安心ください。
当社はみすず飴をはじめ、四季のジャム、生ゼリーなどのお菓子を製造販売しています。みすず飴は、明治・大正期から飯島商店が作り続けている由緒あるお菓子。国産果実だけを使用し、無香料・無着色にこだわり、一つひとつを手作りで仕上げています。四季のジャムは、厳選された国産完熟果実だけを素材に選び、鮮度を大切にした瓶詰を行っています。また、自然が生み出す風味を活かし、使用する品種や産地、栽培方法にまでこだわる良質なジャム製品です。他にも、手作りの半生ゼリー菓子、水飴、あんこ、季節の生ゼリー、生ジャム、三宝柑福居袋など、幅広いラインナップを取り揃えているのが『みすゞ本舗』の魅力です。
飯島商店のお菓子づくりで最も大切にしていることは、「国産果物にこだわるのは当たり前」、「いかに最高の種類の果実を探し、最高の状態で製品にするか」の二点。時代に流されることなく、昔ながらの品種の果物を活用しながら、美味しく質の高い商品を世にお届けしています。そして、樹成完熟の最高に美味しい状態で収穫した果実だけを使用し、新鮮な状態でお客さまに提供しています。お客さまに喜んでいただける商品づくりこそが当社のモットー。優れた商品開発を通して、社名を思い出せない方でも『みすゞ飴』と聞けばすぐに思い出してくださるよう、これからも精進したいと考えています。
事業内容 | ●和菓子の製造・販売
●ジャムの製造・販売 ●生菓子の製造・販売 など |
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設立 | 1919年8月15日 |
資本金 | 1,000万円(2018年度実績) |
従業員数 | 企業全体:110名 |
売上高 | 90,386万円(2018年度) |
代表者 | 代表取締役社長 飯島 新一郎 |
事業所 | 【本社(上田本店)】
〒386-0012 長野県上田市中央1-1-21 TEL:0268-23-3503/FAX:0268-25-3755 【MIDORI長野店】 長野県長野市南千歳1-22-6 長野駅ビルMIDORI2F |
沿革 | 1816年 原町・柳町・田町屋敷割図(上田市立図書館所蔵)に「油屋忠八」の表記が見られる。これが資料上で確認できる最古の飯島商店の記録である。
1832年 初代、飯島忠八没。 1833年 穀問屋として「油屋才治」の記録が残る。 1849年 二代目、飯島才治没。 1869年 三代目、飯島才治没。 1888年 官設鉄道上田駅の開業に伴い、駅前の現在地に移転。 1896年 四代目、飯島才治没。五代目、飯島新三郎が相続。 1900年 台風により東京深川で大量の冠水米ができたことにより、これを原料に水飴製造を開始。その水飴を森永製菓のミルクキャラメル原料として供給したことにより、急速に企業規模を拡大した。 1910頃 翁飴の製造を始め、これを原型にして信州特産の果汁を加えて製する「みすゞ飴」の製造を開始した。(みすず飴は、当初「翁飴」の名で売り出した) 1916年 東京六本木に東京工場を開設し、水飴製造の拠点とする。同年に工場拡大のため、亀戸に工場を移転。 1919年 株式会社化。東京上野の根津神社にて博覧会が催され、蒸気水飴を売った。 1924年 社屋を新築。(上田本店として現存する。国登録有形文化財) 1935頃 ジャムの製造を開始。長野県内に現存するジャム製造メーカーとしては屈指の歴史を持つ。 1942年 移築されて遊郭として使用されていた上田城の二つの櫓が、材木として東京の料亭に売却されるという計画が持ち上がる。飯島新三郎はこれを憂い、上田城櫓の復元を目指して「上田城址保存会」という市民運動を立ち上げ、自ら副会長兼建築委員長となって運動の先頭に立った。 1944年 戦争激化により、工場を一時閉鎖する。 1946年 上田城櫓再建工事が完了。全ての経費を市民の寄付で賄うという、完全な市民主導での城の復元事業は全国でも例が無く、事業の先頭に立った新三郎もまた、逸話として語り継がれている。 1950年 戦中閉鎖していた工場を再開する。空襲によって東京にあった工場や営業所は全て焼失したため、やむなく東京から撤退。 1951年 フレッシュジャム発売。 1970年 諏訪倉庫が所有していた繭倉(建築時期 明治27年)を2棟買い取り、修理して事務所棟・作業所棟として使用(国登録有形文化財)。上田駅前に現存する唯一の繭倉である。 1974年 特選手造りジャム(あんず)発売。原料果実にこだわったジャムを開発コンセプトとし、これが現在の四季のジャムの原型になった。 1977年 三宝柑ジャム発売。三宝柑が伐採奨励品目に指定され、衰退の危機にあることを知った飯島浩一は、保存に向けて全力で取り組み、次々と三宝柑の製品を開発した。 1981年 七代目、飯島浩一が社長就任。 2019年 八代目、飯島新一郎が社長就任。 |
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