ボクは「感動」を自分のライフワークの一つにしています。
人が能動的に行動するためには、その前に必ずポジティブな心(感情)の動きがあるものです。
逆に言うと、感情(本心)が動かないと、その行動は能動的なものではなく、受動に寄った根拠に基づくものとなります。
受動に拠る行動というものは、残念ながらその成果は半減してしまいますから、ボクはやるからには能動でありたいし、あってほしいと思っています。
そして、ボクは自分自身の判断や行動についてよく考えるために、「能動」と「受動」、「主体」と「客体」というふうに、常に絶対軸と相対軸の両方で考えることを習い性にしてきました。
今日は、ボクのライフテーマである「感動」について少し書いてみたいと思います。
人っていったいどんな時に「感動」するのだろう。
この深遠なテーマについて、たくさんたくさん考えて行き着いた答えが、
驚き、共感、尊敬。
平たく置き換えると、
予想を超えるような(驚き)、めっちゃわかるぅぅ(共感)、すごすぎる!!(尊敬)です。
そして、この三つの中から、今日は「共感」について深堀りしてみます。
先日読んだある経済誌のコラムによると、人の気持ちを理解する、
相手の気持ちを読む力(共感力)の上昇は48歳でピークを迎えるそうです。
あくまで伸長がそこで留まるという意味で、そこから先、
それを持続するか下降を辿るかは本人次第です。
だから、48歳までにできるだけ伸ばしておくほうがいいという結びでした。
その説に照らすとボクはもう伸びきった状態ということになるのですが、
仮にそうだとしても、ボクは現在の自分の共感力をここまで育んでいただいた両親や祖父母、
家族、先生、その他にも多くの人たちに感謝するばかりです。
誰かの「思い」に共感するには、同様の、あるいは同等の「思い」を経験していなければなりません。
例は枚挙にいとまがありませんが、
自分が頑張ったことのある範囲でしか誰かの頑張りを分かってあげられませんし、喜び、楽しさ、苦しみ、努力、他にも、自分が経験していることにしか本当の「共感」はありません。
今の自分の苦しみと同じ経験をしたことのある人の言葉だから「共感」できる、
そのたいへんなことの先にある喜びを経験したことのある人とだからこそ、
本当に一体となって喜び合える。
ボクはそう思うんです。
ボクは両親や先生方にたいへん厳しく育てていただきましたし、社会人になってからも、
上司や先輩からは本気の頑張りというものをしっかりと教えていただきました。
振り返ると、苦しみの涙も、喜びの涙も、たくさんたくさん経験させていただいてきた半生です。
誰かが苦しい時、くじけそうになった時、それをやり遂げたことのない人に相談しても、
「できない理由」が返ってくるだけでしょう。
強い意志で頑張って乗り越えてきた人だけが、
誰かのそのたいへんな頑張りに「共感」することができ、
その背中を押すこともできるのだと思います。
ボクのライフワークは「感動」です。
そのための共感力を保ち続けるためにも、何歳になってもたくさんの一生懸命を経験し、
チャレンジを止めず、自分を磨き続けてまいりたいと思います。