忙しい毎日を送っていたり、色々な重圧の下で自己との対話を通じた学びに身を置いていると、気付かないうちに感覚が麻痺してしまうことがあります。
その感覚の麻痺というものは、自分にはできるという慢心の中でもしばしば起こります。
自分を変えていく。
この自分とはボク自身のことです。
環境は心の影、
自分の心のあり方が目の前の環境をつくっている。
これは私が事業を継承した際に、苦難や困難が続く中で毎日のように反芻して自分に言い聞かせていたことです。
盛和塾で薫陶を受けた稲盛和夫塾長からも、会社は経営者の器の大きさを超えることはないと教わりました。
前だけを見て高みに向かって必死に走り続けてきたつもりでしたが、気付かないうちにその自分に向けていたストイックなまでのモノサシを周囲の人たちにもあててしまっていたと思います。
そのモノサシは、いつしか会社のモノサシになっていました。
この数日、あらためて自分がどんな会社を作りたいのか考え続けました。
人が本質的に幸せを感じるのは次の四つだと思います。
一つ目、愛されること
二つ目、褒められること
三つ目、人の役に立つこと
四つ目、人に必要とされること
100点を基準にしたモノサシでは50点の人が60点を取れるようになっても、それは50点不足していたものが40点の不足になっただけにしか計れませんから、その10点分の努力を褒めてあげることができません。
この盲目の現象は仕事において、自分にはできるという慢心からも生まれます。
人にはそれぞれ現段階があるはずなのに。
その人その人の「現段階」を知るということは、その人に興味を持つということそのものです。
それがない環境では、この人はできるけれどあの人はできないというレッテルが出来上がってしまいます。
ボクが作りたい会社はそうではない。
50点の人と60点の人でその人の優劣が決まるわけではなく、ただその能力によって持ち場と立場が異なるだけです。
一人一人に一対一で興味を持ち、その人が100点中の何点かではなく、その人の「現段階」を知る絶対的なモノサシを大切にする環境を創りたい。
その思いを持ち合わせていれば、50点の人が60点を取れた時には自然と褒められるし、また、その思いを持ち合わせているからこそ、50点の人が60点を取ろうとしている努力に気付くことができ、心から応援しようという思いになるのだと思います。
思いが変われば行動が変わります。
行動が変われば成果が変わります。
だから、ボクは自分を変えていく。
ボクが目指す会社は、目的に向かってみんなが同じベクトルで努力できること、そして、足りないことを指摘し合うのではなく、できたことを称賛し合う中で人間力が磨かれていく会社です。
美点凝視を推し進めようという宣言ではありません。
素直に心から仲間に感謝に気持ちを伝えることができる、
仲間を思い、敬意を抱くことのできる、
それが自然とそこに在る会社の風土を作りたい。
社内にホスピタリティーが生み出せないのに、お客様へのサービスにホスピタリティーが提供できるはずがありません。
大切な仲間の力を借りながら、これから一気に会社の風土をもう一段上へと高めていきます。
環境は心の影、
自分が変われば会社は変わる。