これが私の仕事 |
復興にダイレクトに携わる仕事 入庁して1年が経とうとした時に東日本大震災があり、震災を「役場職員」という立場で経験しました。当時は健康福祉課の国保年金係に配属されており、避難先で健康保険証がない方の対応や避難所での病人対応等、様々な災害業務を行いました。その後、総務課や住民生活課に異動し、復興予算により財政規模が大きくなる町の財政管理や当町にも甚大な被害をもたらした令和元年東日本台風の対応をはじめ災害対策本部の運営に携わった後、総務課にて新庁舎建設に関わること になりました。 |
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だからこの仕事が好き! 一番うれしかったことにまつわるエピソード |
新庁舎開設までの経緯 庁舎建築は自治体職員でもなかなか携わることができない業務であり、加えて今回は帰町する町のシンボリック的な建築となることから、プレッシャーを感じつつも前のめりに業務に取り組みました。その1つとして、庁舎建設検討委員会という全庁的な組織を立上げ、職員の意見が反映される環境を整えました。委員会では様々な意見が出ましたが、「その提案は誰のためになるのか」を一貫して貫き、全体を俯瞰して採用・不採用の判断をしていきました。業者選定ではデザインビルド方式という手法を用いて、設計・施工一体型の手法で工期短縮を実現しました。庁舎全体はモノトーン色を基調としつつ、町の「花・木・鳥」の色を差し色として配色する等、意匠設計にもこだわりました。 |
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ズバリ!私がこの会社を選んだ理由 ここが好き |
仕事の成果がはっきりカタチになっていく魅力と責任感 大学時代に所属していたゼミが、地域総合型スポーツクラブ等の地域のスポーツ振興に関する取組みをしており、地域のスポーツが活性化するためには「教員や指導者ではなく、熱意のある行政マンの力が必要だ」という担当教授からの言葉を受けて地元双葉町の役場職員になりました。
私が育った双葉町の“風景”は、震災により一変しました。今、私たちが取り組んでいるのは、その風景を取り戻しながら、“新たな風景”にしていくこと、仕事の成果がカタチとして残り、この風景が子ども達にとっては、“当たり前の場所” になっていくこと、ここに仕事の魅力と責任を感じます。 |
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これまでのキャリア |
大学卒業後、平成22年度に入庁
健康福祉課3年→総務課6年→ 住民生活課2年→総務課2年目 |