自動車の内装パーツや、スマートフォンのカメラモジュールに用いられるフレキシブル基板、テレビのプリント基板…。皆さんの身近なところで、私たちが表面処理を手がけた製品が活躍しています。
創業80年にわたり培った多彩な加工技術を強みに、日本の最先端テクノロジーを支える大手電機メーカーや総合商社と取引関係をもつ当社。海外の高級自動車の内装パーツや、話題のドライヤーなどにも、タイヨーの技術が生きています。
タイヨーは、創業80年の表面処理加工メーカー。大手家電メーカーの無線機・ラジオの組立工場として創業したのが始まりです。そこから少しずつ取引顧客を増やし、現在は多数の大手電機電子メーカーや総合商社から引き合いを受けています。特定分野に特化せず、クルマの内装パーツや、プリント基板、電子部品・半導体製品など幅広い領域の表面処理加工を展開するのが、当社の特徴のひとつ。例えば、飛行機の座席に設置された映画を楽しめるモニターにも、髪がしっとりまとまると話題のヘアドライヤーにも、当社の技術が生きているんです。各業界の最先端のテクノロジーの発展に関われる面白さや、横断的に技術を学んでいけるやりがいがあります。
大手から信頼を寄せられる大きな理由が、品質の高さとデザイン力です。例えばクルマの内装用パーツ。実はめっき加工のクオリティは、プラスチック成形が肝。金型製作・成形からワンストップで行なえるタイヨーの生産体制が、高品質を保つ精密設計を実現します。また、クルマの内装はデザイン性も要求されるため、レーザー加工による光透過ボタンや微細なデザインへの対応力も重宝されています。需要の高まるサテン調めっきでは、独自技術によりツヤ感の高いものからマットな仕上がりまで無段階でコントロール。これは、機械設備の充実はもちろん、素材やめっき液の特性・マッチング条件を知り尽くしたタイヨーだからできるパフォーマンスです。
顧客の声に応える中で、金型製作や成形など少しずつ領域を拡大し、ワンストップ体制を構築してきた当社。今後も内製化を進めていくため、新たな加工技術やそれにともなう機械設備の設計・プログラミングなど、色んな仕事が派生していきます。だからこそ、新しいことにチャレンジできる場も豊富で、成長チャンスも多いでしょう。生産機械メーカーや工業組合など外部の研修も充実し、着実に高度な専門知識を伸ばせます。行き詰まっている時にはそっと声をかけてくれる面倒見の良いメンバーが上司や先輩に多く、新卒メンバーも安心して働いています。「大学の先輩から、良い会社だと勧められた」と後を追って入社するメンバーも多いですよ。
事業内容 | ■各種プラスチック製品の成形金型製作・成形・装飾めっき・塗装・レーザー加工
■プリント基板のめっき加工(スルーホール銅めっき、無電解Ni/Auめっきなど) ■電子部品・半導体製品のめっき加工(パンプめっき、セラミック基板めっきなど) ■金属製品のめっき加工(亜鉛めっき、ニッケルめっき、スズめっき、アルマイトなど) |
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設立 | 1953年(創業1939年) |
資本金 | 資本金 9900万円 |
従業員数 | 国内502名
海外535名 |
売上高 | 146億円(2022年12月実績)
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代表者 | 代表取締役社長 辻 克之 |
事業所 | 本社/大阪府大阪市旭区森小路1-2-27
化成品工場・森小路工場/大阪府大阪市旭区森小路1-2-27 鶴見工場/大阪府大阪市鶴見区緑1-15-4 堺工場・開発工場・開発研究所/大阪府堺市西区石津西町11 |
海外拠点 | アメリカ、シンガポール、マレーシア、タイ、中国 |
太洋工作所の歩み | ▼無線機、真空管ラジオの組立てからはじまる
1939年(昭和14年)大阪市旭区で松下電器(現パナソニック)の下請け工場として無線機、ラジオ、またそれらの部品の組立工場として創業。 現在の社名「太洋工作所」はこの時期に松下電器の幹部により命名されたものである。 ▼めっき事業による第二の創業 戦後の復興期、ラジオ部品へのめっき加工をめっき業者から技術を提携してもらう形で始め、亜鉛めっきで本格的にめっき事業に参入する。 1953年(昭28年)に株式会社に改組する。 ▼高度経済成長とともに 高度経済成長期、家電製品のすさまじい普及とともに新たなめっき技術を導入し発展を遂げる。大衆化により需要が高まったオーディオ部品ではアルミ飾環からプラめっきつまみへの切り替えに成功するとともに、電鋳金型の開発でプラめっきのAV製品への採用を加速させた。 ▼電子機器の軽薄短小化の流れにのって 昭和40年代からプリント基板の端子金めっきを手掛けるなど、プリント基板のめっき加工には古くから力を注いできたが、1975年頃(昭和50年)になると電子機器の軽薄短小化の流れが強まり、プリント基板の両面化、多層化などとともにスルーホールめっきの需要が一気に拡大。1990年(平成2年)までに8ラインでの生産となり国内有数のスルーホールめっきメーカーとなる。 1991年にタイヨーテクノロジーオブアメリカの開設を皮切りにこの時期より海外展開も課加速させる。 ▼デジタル時代の到来 1990年(平成元年)以降、電子機器にはデジタル化の波が押し寄せる。この波にのりバンプめっきなどの最先端のめっき技術開発を加速し量産化を始める。 また一旦需要が低迷していたプラスチックめっきが普及期を迎えた携帯電話ボタンに1995年年頃から爆発的に採用され、ニッケルフリーめっきボタン開発もこの時期行なわれた。 ▼めっき加工のコア技術からワンストップオーダー、カーエレへの展開 2010年頃(平成22年)よりプラスチックめっきでは本格的に車載分野へ進出。独自のサテン調めっきにより内装部品での展開を図る。 電子分野ではシード成膜技術やレジストパターンニング技術を積極的に取り入れ、めっき技術をコアに前後にプロセスを広げ、ワンストップオーダーへの対応に挑戦。 ウエハ、プリント基板、セラミック基板などトータルプロセスの確立を目指している |
沿革 | 1939年 現本社所在地において個人経営を以って無線の組立を行なう。
1948年 めっき部門を併設。 1949年 弱電部品製作並びにめっき加工専門工場として発足する。 1953年 法人組織に改組し資本金50万円とする。 1958年 城東工場半自動装置完成。資本金250万円に増資。 1959年 電解研磨工場完成。城東全自動装置完成。資本金350万円に増資。 1961年 門真工場建設完成。 1962年 コーティング工場建設完成。資本金570万円に増資。 1964年 無電解めっき工場建設完成。資本金1,000万円に増資。 樹脂めっき量産開始。 1967年 無電解めっき第2工場建設完成。資本金1,600万円に増資。 1968年 プレス工場完成。資本金2,100万円に増資。 1969年 資本金3,000万円に増資。 1971年 資本金4,600万円に増資。 1972年 ノブ工場を新設。 1973年 資本金4,900万円に増資。 1974年 門真工場を閉鎖し城東工場に合流。 1976年 無電解工場を化成品工場と改称。 1977年 プレス工場、ノブ工場、電解工場を合併し軽金属工場と改称。 志方耕三郎、代表取締役に就任。 1978年 資本金6,500万円に増資。 1979年 資本金8,300万円に増資。 森小路工場と城東工場の亜鉛バレルめっきを統合し、城東工場に新設。 1980年 資本金9,900万円に増資。 1981年 化成品工場改築増設。 1982年 堺工場建設(成形ライン) 1983年 本社屋新設 1984年 堺工場新築、新成形ライン移転設置。 1986年 志方耕三郎、代表取締役会長に就任。 辻 隆之、代表取締役社長に就任。 1988年 開発研究所開設。 1989年 金属事業部改築第1期工事完成。 1990年 5S部発足。堺工場第2棟完成。 1991年 タイヨー・テクノロジー・オブ・アメリカ発足。 1992年 志方耕三郎 勲五等瑞宝賞叙勲。堺工場第2期工事完成。 1993年 堺事業部に開発工場新設。 タイヨー・テクノロジー・シンガポール発足。 1994年 堺に開発事業部新設。 1995年 金属事業部改築、第2期工事完成。 1998年 タイヨー・テクノロジー・マレーシア発足。 1999年 ISO14001認証取得。 2000年 タイヨー・ソフト・シンガポール発足。ISO9002認証取得。 2001年 金属事業部を鶴見事業部に改名。 タイヨー・テクノロジー・ポルトガル発足。 鶴見事業部に自動電解金めっき装置設置。 2008年 タイヨーソフト・シンガポール タイ事務所を開所。 辻 隆之、代表取締役会長に就任。 辻 克之、代表取締役社長に就任。 2009年 ISO27001認証取得。 2010年 タイヨー・ソフト・シンガポールの中国・上海事務所を開所。 2011年 タイヨー・テクノロジー・システム・タイ発足。 タイヨー・テクノロジー・ポルトガル閉鎖。 2012年 タイヨー・テクノロジー・インダストリー・タイ発足。 2015年 タイヨー・テクノロジー・システム・タイを タイヨー・テクノロジー・インダストリー・タイに統合 2016年 化成品事業部ISO/TS16949認証取得 2017年 タイヨー・テクノロジー・インダストリー・タイにめっき工場を新設 2018年 化成品事業部 IATF16949認証取得 |
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