感謝とともに嬉しい悲鳴をあげております。
本日のタイトルは「努力のしろ」。
いったい何かといいますと、私が有意注意に努めていることの一つで、
文字通り頑張りしろ、努力したしろのことです。
中でもとりわけ今日はヒトの成長という観点でお話してみたいと思います。
最近は私の周りでも人に厳しく接しておられる方が減ってきました。
世の中全体がそういう風潮になってきましたから仕方がないことかもしれません。
でも、残念ながら求められるものは以前と比べても決して緩和されたとは言えませんので、
努力をしなくてもよい時代になったわけではありません。
求めに応じるためには常に自分で自分に厳しくするしかないという、
それはある意味恵まれない時代とも言えます。
人間は甘いので、どんどん楽なほうを選択してしまうものです。
その結果、大変な思いをするのもやはり自分…
当社のフィロソフィに『小善は大悪』という項目があります。
ことさら育成の現場では、目先の優しさでメンバーを甘やかしても、
それは長い目で見た時に本人のためにはならないという戒めです。
ですから、私は今でも環境としての厳しさを我が社の風土の一つとして持つようにしています。
ただ、注意や叱ったりする時には、
その相手ごとに今可動するポテンシャルの範囲でしか言わないように
制御することを心がけています。
つまり、私が叱ることは全部その相手が必ずできることの範囲に収まっているということです。
この人にはここまでと、その時々で考えてコントロールするようなことはできませんので、
普段の習い性としてよく従業員の皆さんのことを見るように努めています。
そのことで、もう一つ得られたことがあります。
例えば、6段の跳び箱があるとして、私は全員に6段を飛べとは言いません。
2段の人が3段を飛べた努力をしっかりと褒めたい、
3段の人がよりきれいに3段を跳べるようになったその頑張りに気付ける会社でありたい
と思っているからです。
当社では、それを「努力しろ」と呼んで、成果主義一辺倒ではなく、
従業員の皆さんそれぞれの「頑張り」を賞賛できる会社風土を大切にしています。