こんにちは。
マックスバリュ関東の松坂です。
2011年3月11日14時46分、東日本を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災が発生しました。亡くなられた方には改めてお悔みを申し上げるとともに、ご家族様にお見舞い申し上げます。
またこの震災は、私の人生の中でも非常に大きな出来事として心に刻まれました。本日は当時のことを少しお話ししたいと思います。
マックスバリュ関東株式会社は、イオンリテールから2010年2月に分社しました。その翌年、この震災が発生しました。
当時の本社はJR京葉線の稲毛海岸駅近隣の地下にあり、私もそこで勤務していました。震災発生直後、大きな揺れとたとえようの無い地響き、そして食器が割れる大きな音がしました。一次非難した後、店舗の被害状況の確認をしました。通常の電話回線や携帯電話は全く繋がらず、電子メールと公衆電話で状況を把握しました。結果として当時茨城県にあった2店舗が大きな被害がありました。
本社男性スタッフ社員は、この店舗に応援に行くことが決定しました。それが震災当日の17:00でした。私は約10時間かけて、茨城県常陸太田市にある店舗に到着しました。明け方の3月12日午前7時、店内に足を踏み入れると、見たことも無い状況が目の前に現れました。天井にある業務用エアコンは店内の各所で落下・宙吊り状態になっており、陳列棚はすべて倒れ、防災用のガラスは各所で割れる等、店内は異常な状態でした。唯一の救いは店内での負傷者が出なかったことでした。それから5時間ほど応援者は店内清掃は行いましたが、一向に綺麗になる気配がありません。そのころ当時の社長が常陸太田店に到着したのでした。
社長は応援者と被害が無いため出勤できた店舗従業員に集合をかけ、開口一番こう言いました。
「いま避難所を3軒廻ってきた。そこでは腹を空かせ、喉が渇き、寒さに震えている人がいっぱいいる。通常通りの営業はできないが、店頭で販売することはできる。水やパン、バナナやオレンジ、ホッカイロなどを、店頭でワゴン販売するぞ!今すぐだ!!!」。
”この一声で目覚めた”、そんな瞬間でした。即座に品物を準備し、13時ごろから店頭販売を開始。30分後、一人の年配の女性が来店し、
「マックスバリュさんは、やって(営業して)くれてたんだ。助かった。本当にありがとう」
という言葉を残し、店を後にされました。その後、続々とお客さまが来店され、涙ながらに「ありがとう」と言ってくれたお客さまも数多くおりました。そんな有り難い言葉に、社会人となって初めて"地域に貢献出来た"と実感しました。まさに「地域に根差し、皆さまに一番近い立場で、命を預かる仕事が出来た」と感じた瞬間でした。そして我々マックスバリュ関東の従業員は、地域の重大事に迅速に行動出来る組織であることを誇りに思いました。
12日の店頭販売は18時まで、翌日から2日間の店頭販売を続け、震災より4日後から店内営業が再開されました。震災翌日の午後から販売が出来たのは、マックスバリュ常陸太田店だけであったと思います。これはいわゆる”マックスバリュプライド”であったと思います。
それから早10年以上。それ以降も残念ながら各地で災害が起きております。当社も当然のことながら、グループ全社が一丸となって被災された皆さまの早期復興に向けた取り組みをしております。小売業に携わる我々の取り組みにご賛同いただいてご入社いただくとともに、人の命を預かるお仕事に従事いただくことを強く願っております。また、このような取組みを行っていることもご認識していただければ嬉しいです。
それでは、また。