こんにちは。
マックスバリュ関東の松坂です。”ご来店”いただき、誠にありがとうございます。
本日は第3回目の「買物型体験スーパーマーケット」への挑戦秘話です。前回に続き、非常にザックリとした日本の小売業界とイオンの流れも含めてご紹介しております。歴史的背景を知ることで、なぜ当社が買物体験型と銘打った取組みを行っているのかが理解できます。秘話の前に是非こちらをどうぞご確認ください。
1970年代から総合スーパーマーケット(GMS)は非常に繁盛しました。当時のジャスコは三重県を中心とした関西圏に店舗が多く、都内を中心とした首都圏には店舗がありませんでした。高速道路が発展するとともに、地方都市のインターチェンジそばに広大な敷地面積に大きな店舗と広い駐車場を持つ店舗を増加させていきました。その後、扇屋百貨店(扇屋ジャスコ)や伊勢甚百貨店(伊勢甚ジャスコ)等との合併等により関東圏にも店舗を増加させ、東京都内への出店は今も現存する葛西店が一号店だったと記憶しております。
1990年代にバブル経済が弾け経済不安に至っても、“価格破壊”を打ち出す商売により、更に客足が伸びていきました。しかし同時期の日本においては、「勤勉で画一的」な価値観が推奨されていた時代から「多様で欧米的」な考えが推奨され始めてました。人々の価値観や働き方が大きく変化し始めたのです。
又、経済破綻による大企業の経営破綻や虚偽申告や詐称による重大なコンプライアンス違反が連続したころから、世の中の流れが大きく変化しました。その上、外国企業の日本進出や国内における専門事業の成長により、GMSの売上高は減少、特に衣料品や雑貨、家電用品やスポーツ用品などは様々な専門店へと客足が流れていきました。そのためイオンの改革が始まったと言っても過言ではないと思います。
まずは店舗網を日本から海外へというビジネスモデルの転換から、ジャスコ(Japan United Stores Company)という会社名を捨てイオン(AEON)へ、そして主幹事業であるGMS依存からの脱却=専門事業の推進が始まりました。このような中で、イオン本体の事業部として日本全国に店舗を増加させたスーパーマーケットがありました。それが“マックスバリュ“になります。
それ以外にも、さまざまな新業態がイオン本体で生まれチャレンジを行いました。又、イオンの考え方に共感いただいた企業の皆さまと”ゆるやかな連合体“を組み、グループ企業として稀に見る成長を遂げていきました。私もイオン直営の従業員として勤務しておりましたが、その成長スピードに非常に驚くとともに、会社名を変えるという発表の場(イオンの幹部社員が集合し、当年の会社方針を発表する政策発表会)の場に立ち会えたことは、いまでも非常に印象的であり、感動したことを覚えております。