これが私の仕事 |
職場に親和性をもたらし、活気ある職場づくりと地域への参画 事務局員である私の仕事は、ワーカーズコープ・センター事業団の事業・運動の発展を全国的な観点に立ち、推進することです。総代会の決定を受け止め、仲間とともに労働者協同組合の事業・運動と、その核心となる協同労働を推進します。今現在は児童館に配属されており、入職から2か所目となる事業所です。児童館では館長という重責を任せられながらも、常に法人組合の理念原則をベースとして利用者や職員と向き合い、日々「協同労働」と連呼して悪戦苦闘する毎日です。会議で意見が割れることは日常茶飯事ですが、1人ひとりの意見を否定せずに受容し、職員全員が意見を言える機会を心掛け、「誰もが輝ける仕事」の実現に向けて奮闘しています。 |
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だからこの仕事が好き! 一番うれしかったことにまつわるエピソード |
「こんな全国事務局員は初めて!」と言われたこと 最初の配属先は学童保育所で、職員の入れ替わりが激しく荒れていた現場でした。1か月後には正規職員が自分1人となり、非正規職員が9人。当時の非正規職員の方々は、責任が伴うことは全て判断を委ねてきました。「正規、非正規関係なく、意見も責任も平等の法人です」、「皆さんで考えてください」と言っても、「パートのおばちゃんがどうして責任を取らないといけないの!」と怒号を浴びせられたことも。しかし、正規職員1人という非正規職員がやらざるを得ない状況が次第に非正規職員を突き動かすことに…。数か月後のある日、机に向かっていた事務作業から一瞬目を反らし周りを見渡すと、「あなた、今日〇〇頼むわね!」など、自ずと非正規職員の中からリーダーが生まれ、非正規職員だけで学童保育所を回せるまでに…。本当にうれしかったです。 |
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ズバリ!私がこの会社を選んだ理由 ここが好き |
説明会での「誰もが輝ける仕事の実現」という言葉に引っ掛かったから 民間企業から公立学校の講師となって正規教諭を目指していましたが夢半ばで挫折し、再度民間企業で働きました。しかし、挫折からの転職もあってかモチベーションが上がらず、中途半端な気持ちで働く中、転職活動を始め、内定をもらい入社日まで決まっていましたが、自分のやっていることに違和感を覚え、内定を辞退しました。勤務先と新たな転職先を同時に失くし、1か月間無気力なまま過ごす日々を送り、自分が何をしたいのか、何をすべきなのか分からずいたときに、自宅から近い福祉センターの求人を見つけ応募したところ、全国事務局員の説明会に参加することになりました。その説明会で「中年男性の引きこもりが多い」と聞いて「自分だ(笑)」と思い、更に「誰もが輝ける仕事の実現」という言葉が、迷走していた当時の自分に響き、入団しました。 |
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これまでのキャリア |
電気機器メーカー営業(4年)→食品メーカー営業(13年)→公立学校講師(5年)→食品配送会社事務(10か月)→当団体へ 学童・生活介護(4年)→南小岩地域福祉事業所/東京東部事業本部 現在6年目 |