これが私の仕事 |
安心安全を守るための追求には終わりが無いからもっと知りたくなる。 多摩区総合庁舎で監理を担った時は、設計とはまた違った思考の仕方、物の見方を知り、物件の最初から最後まで見届けるなかで、建築の奥深さを自分の目で見て肌で感じ、追求心に更に火が付きました。 もう一つ契機となったのは、1995年の阪神・淡路大震災の経験です。日本の構造基準を守れば、建物は壊れないとみんなが信じ切っていたものが崩れ、衝撃を受けました。設計部全員で現地調査をしながら、これから何を、どこから追求したらいいのか議論を重ねました。その時前社長の「もし、また大きな地震が来たら、社員の命を守れるのか。それを考えたらとことん追求するしかない。」という言葉を聞いて、“安心安全を実現するための追求には終わりがない。自然の摂理の本質を掴み、安心安全をカタチにすることこそ構造設計者の使命”だと強く思いました。 |
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だからこの仕事が好き! 一番うれしかったことにまつわるエピソード |
自発的な「やりたい」想いを引き出し、追求仲間になること。 大阪への配転を機に人材育成への意識が変わりました。「先人たちの想いを後世につなぎ、つくってくれた組織を守っていきたい。」という前社長の想いに感動し、構造設計部をまとめる立場となり、組織を守っていく役割を担うようになりました。
若手と接していて、一方的な技術追求の押し付けでは人材育成は成り立たないという実感があります。相手の心情や状況を無視していると、自発的な「やりたい」想いを引き出すことはできません。
現実の相手の期待や、未知課題に対峙したときに、若手が何を感じ、どんなことを掴んでいるのか?その機微を捉えることで、問いかけを変えています。育成する・されるという一方的な関係ではなく、一緒に追求していける関係を築いていきたいと思っています。 |
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ズバリ!私がこの会社を選んだ理由 ここが好き |
どんな分野を追求しても、どこかで繋がってくるから面白い! 社内だけでなく、社外でも未知課題の背後にある根本を突き詰め、課題の本質に迫ることで課題解決の糸口を探っているのが学びになりました。その時は直接関係が無いと思っていた追求も、どこかで本質部分は繋がってくるのがさまざまな分野を追求する面白さです。
社外の人との追求関係を広げていけているのは、分からないことは分からないと素直に発信しているのも一つあると思います。質問を契機に、一緒に追求する雰囲気をつくれます。どんなに経験を重ねても、現実世界においては過去の記憶や成功体験だけでは突破できない未知の現象・課題に遭遇するので、まだまだ追求できることがあると思うとワクワクします。今はもう構造とか、設計とか、そういった枠は感じていませんね。 |
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これまでのキャリア |
’88:設計事業部の構造設計として、東京設計室に配属
’99:構造設計部主任に抜擢
’14:大阪設計室に配転。構造設計部部長に抜擢
現在:多岐に渡る追求成果を実際のプロジェクトでも生かしている |