業種 |
航空
その他サービス
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本社 |
沖縄
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日本トランスオーシャン航空(JTA)は1967年に沖縄県民の翼として誕生しました。JTAは、JALグループの中で沖縄に拠点を置く航空会社として、沖縄・離島の魅力を発信し、沖縄の観光と地域産業の振興に貢献するとともに、「人身死亡事故ゼロ」の安全運航を堅持し、「うちなーの翼」としてJALブランドを代表する航空会社になることを目指しています。2016年2月10日からは新機材ボーイング737-800型機初号機での運航も始まりました。
南西航空として1967年に誕生した日本トランスオーシャン航空。50年にわたるあゆみの間には、さまざまなドラマが生まれてきました。沖縄の翼として県民の夢や希望を運ぶため、一つひとつ乗り越えなければならない幾多の課題に果敢に挑戦してきたのです。この挑戦のすべてに共通するのは、社員の情熱とチームワーク、そして誰もがけっしてあきらめなかったということ。沖縄に生まれ、地元とともに育ったJTAのスピリットは今も受け継がれています。
島と島を安定的に結ぶ定期航空路線の開設。それは長い間沖縄の悲願でした。その悲願達成のために、”国際線”として那覇-羽田間を運航をしていた日本航空が動き始めます。当時の琉球政府、米国民政府等に協力を要請し、さまざまな取り組みにより民間航空会社の琉球列島参入が可能になり、日本航空と地元企業の合弁で、1967年に南西航空が誕生しました。初フライトの日は、朝から新しい沖縄の翼の未来を讃えるかのように晴れ渡っていたそうです。その後、路線は本土まで拡張し、1993年に南西航空から日本トランスオーシャン航空と社名を変更し、現在にいたります。
私たちJTAは“沖縄に一番必要とされるフルサービスキャリア”を目指すことをビジョンとして掲げています。具体的には、多様化・グローバル化する社会においてもお客さまからお選びいただけるよう安全運航の維持を大前提に、世界トップ水準のサービスと最高の品質を提供すること、いかなる競争下でも路線を維持する企業体力を構築すること、そして航空事業の枠を超えて沖縄の振興と地域社会に貢献にすることです。そのために、私たちは新たな価値の創造に積極的に挑戦してまいります。
事業内容 | 1. 定期航空運送事業及び不定期航空運送事業
2. 航空機整備事業 3. その他の事業 |
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設立(創業) | 1967年6月20日
運航開始:1967年7月1日 |
資本金 | 45億3,720万円 |
従業員数 | 771名(2019年3月31日現在) |
売上高 | 403億円(2016年3月) |
代表者 | 代表取締役社長 青木 紀将 |
事業所 | 那覇空港・オペレーションコントロール、宮古支社、八重山支社、久米島支店、岡山支店、金沢支店、東京空港所、中部空港所、関西空港所、福岡空港所、小松空港所、岡山空港所、メンテナンスセンター |
旅客数 | 280万人(2016年度実績) |
貨物・郵便重量 | 3万2917トン(2016年度実績) |
関連会社 | 琉球エアーコミューター株式会社
JALスカイエアポート沖縄株式会社 株式会社JAL JTAセールス JTAインフォコム株式会社 |
沿革 | ▼「南西航空」設立
沖縄本島と各離島とを結ぶ生活の足として、1967年6月20日、南西航空(株)が設立されました。 ▼初のジェット機導入 これまではCV-240型機などのプロペラ機のみで運航していましたが、1978年から初のジェット機材であるボーイング734-200型機が導入されました。 ▼本土路線進出 1986年、初の本州路線である那覇-松山線が開設されました。以降、本州を結ぶ路線を順次開設していきます。 ▼ボーイング734型機 1994年、新しい機材であるボーイング737-400型機が導入されました。 ▼特別塗装機導入 2012年、1人の想いからスタートしたジンベエジェットは、2017年「新ジンベエジェット」へと想いがつながれ、2018年2月には「新サクラジンベエ」が就航しました。また現在、沖縄の伝統空手をPRする「空手ジェット」、沖縄の航空会社として9月に引退を発表された安室奈美恵さんに感謝の気持ちを表したいと「AMURO JET」が就航しております。 ▼ボーイング738型機 2016年2月より新機材ボーイング737-800型機が導入されました。2018年5月現在、「新ジンベエジェット」「新サクラジンベエジェット」を含む7機の新機材が日本各地の空を飛びまわっており、2018年度中にはすべての機材を新機材に更新し、沖縄の空をさらに盛り上げてまいります。 |