株式会社メディコム
メディコム
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  • OpenES
  • 正社員
業種
出版
広告
本社
徳島

モデルケース

2020年大学卒

採用人数 今年度予定 1~5名
昨年度実績(見込) 1~5名
初年度
月収例
月18万円程度(月給制)
選考例
  • WEBプレエントリー
    締切 2月下旬
  • エントリーシート
    締切 随時
  • 説明会
    未定
  • 面接
    随時
  • 内々定
    随時
応募・選考時
提出書類
OpenES
その他の
ポイント
育休取得率90%以上、女性管理職比率20%以上、女性役員在籍、20代社員比率30%以上

募集要項

求める人物像・選考基準

仕事はスポーツみたいなものです。

一日中、文章を書いています。
パン屋さんがパンを焼き、大工さんが家を建てるように、われわれは文章を書きつづけます。
皆さんはSNSなどで文章を書く機会がけっこうあると思いますが、そういった自己表現系のとは真逆の文章です。
他人の話を耳をすませて聞き、他人が経てきた経験や考え方をまとめ、その人生のストーリーをなぞります。
ま、いわゆる「取材」ってヤツはそういうもんですけどね。
ここんところ採用面接していると「自分の思いを伝えるために雑誌をつくりたい」なんてミュージシャンみたいなこと言いだすヤカラが増えて、面接官であるこちらが途方に暮れることが多くなりましたが。「自分の思い」とかどうでもいいのでね、他者や社会への興味がきちんとあれば、この仕事はできます。
「3年我慢すれば何とかなる」なんて昭和世代の人はよく言うでしょ。根拠なさそうだけど、馬鹿にしたもんじゃないです。
どんなスポーツでも芸術でも、個人的な趣味ですら、3年、5年、10年と続ければレベルが上がっていくでしょ。仕事も同じです。
学歴なくても勉強できなくても、基礎トレきちんとやって、続ける根性(死語だろうなぁ)あれば、3年すればいっちょまえに近づきます。
逆にね、すぐあきらめてしまう人なら、そりゃムリですね。
毎日、素振り、筋トレ、ランニング、ノック、球拾い、用具磨きをやってない野球部員が、試合に出てヒット打てないのと同じです。
好きなことなら何があっても耐えられます。どんなボロい職場でも、鬼のような先輩にどやされても、関係ないですね(ブラック感まんてん~!)。

人間(自分を除く)への圧倒的な興味、それがあるのならこの仕事、向いてます。
よっぽどヘンな人でも受け入れますよ。理念が一致してればね。ぜひいらしてください。

募集概要

職種 雑誌編集、広告クリエイター、誌面デザイナー
主な仕事内容 雑誌の企画・取材、広告の企画・営業、誌面の制作などの過程を経て書籍を刊行します。
製品の流通まで自社で管理しているため、本を出版するという事業全体の知識や経験を積めます。
・・・と言葉で説明してもよくわからないと思うので、入社希望の方には面接後に就労体験の機会を設けています。
任意ですので、遠隔地の方や不要な方は受ける必要はありません。
いわゆる「就職のミスマッチ」をなくすために、現場の様子を徹底的にご覧いただき、取材の実体験や記事の執筆をしてもらうことで、「この会社が就職すべき場として適切かどうか」をご自身に判断いただきます。
勤務地 本社(徳島市) 転勤はありません
【四国Uターン積極採用】
勤務時間 専門業務型裁量労働制(1日みなし労働時間 10時間)
出社、退社時間は仕事の状況を踏まえ、各自が自主的に管理しています。
採用ステップ&スケジュール ■採用は通期で実施。

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■採用スケジュール

リクナビにてエントリー
   ▼
一次審査:エントリーシート(OpenES)提出
詳細は、エントリーいただいたみなさまにご案内します。
   ▼
エントリーシート合否通知:書類到着から14日以内に合否連絡(メールにて)
   ▼
二次審査:論文、面接
 実施日時:毎週木曜に実施、14時開始~17時頃終了 
 ※祝日は除く
 ※面接日はお選びいただけます。
 会場:本社(徳島市中徳島町2-5-2 新聞放送会館6階)
   ▼
合否通知:面接実施から14日以内に合否連絡(メールにて)

※弊社からの採用試験ご案内は、entry@medicomm.jp より通知します。
応募資格 普通自動車免許をお持ちで問題なく運転できること。
また原付バイクを問題なく運転できること。
※取材、営業、販売などあらゆる場面で、自分自身で車・バイクを運転して現場に向かってもらいます。

給与・福利厚生(待遇)

給与 大学院卒、大学卒、短大卒、専門卒、高専卒
2018年4月 月給18万円以上(入社3カ月目に査定あり)
※一律固定残業代含む(月44時間分、4万2857円/時間超過分は追加支給)
諸手当 メディコムでは諸手当はありません。
理由は下のぶっちゃけ情報での【制度・待遇の裏側おしえます】をご覧ください。
昇給 給与査定は年1回ありますが、昇給とは限りません。
当社は業績推移を随時社員に情報公開しながら、業績の状況により随時再査定を行っています。
社員の責任範囲の拡大、また責任負荷の変化により、随時再査定します。
賞与 業績連動型
※当社は3月決算です。1~2月にかけて決算予測をおこない、その時点で経常利益の予測額(その年の儲け)を算出します。その儲けのうち少なくとも33%を、社員・アルバイトに賞与として還元する、というルールです(直近3年間の実績では、経常利益の50%以上を賞与にあてています)。赤字ならば賞与はゼロ、利益が多く出れば連動して賞与も増えます。利益は自分の手でたたき出します。損失も自分の責任。儲かれば取る、儲からなければ取らないという考えを徹底しています。
会社業績が直接賞与に反映されるので、社員は会社業績への意識を高く持ちます。
休日休暇 月6日以上 ※年間休日105日
有給休暇
特別有給休暇・・・結婚休暇、忌引休暇、産前産後休暇、育児休業、リフレッシュ休暇、介護休業など
保険 健康保険、雇用保険、厚生年金、労災保険
福利厚生 退職金制度(最低資格勤続5年)
試用期間 無し
【制度・待遇の裏側おしえます】 毎月10日に上司から手渡される給与明細を開く。支給欄に書かれているのは「基本給」と「一律裁量労働手当」のみ。そう、メディコムにはそれ以外の手当はない。「通勤手当」も「住宅手当」も何も。
「えー、それってヒドイ!」と思いました?でもね、考えてみてください。売上高の中から人件費にかける割合は決まってますよね。どうしてもどうしても手当がほしい!という場合はどうしましょう?
手っ取り早いのは基本給を下げて、手当を充実させること。でも、住んでる場所や生活環境に合わせることで能力に関係なく受け取る金額に差が出るのは納得できんよなあ…。

実はこれは数年前、スタッフ全員で話し合った内容。確かに手当はないよりあったほうがいい。でも個人的な事情を言い始めるとキリがないし、誰もが納得できる公平な手当を考え出してもキリがない。で、結局それまでは一定に支払われていた各手当をストップし、その代わりに基本給のベースアップ+完全能力制へとシフトしました。そうなってからは「テキトーに仕事をしていれば毎月自動的に給料が振り込まれる」という呑気な考え方が一変、「給料をもらうためにはいい仕事をするしかない!」という思いがフツフツと沸いてきたのです。

…というと、なんだかちょっと暑苦しい会社のようですが、頭の中はめちゃくちゃ単純。多くの人が手に取りたくなる雑誌を作ろう。効果の高い広告企画を立てよう。読者もクライアントも喜んでくれて、その上自分たちの給料もアップ…。うわぁ、いいことばっかりやん、って(笑)。


「大企業がいい」という人も多いけれど、私はスタッフ全員がお互いの顔を見ながら新しい制度を作っていける、この会社で働くことができて本当によかったと思います。
さてさて、次はどんなことを提案しようかな。うーん、働きやすい環境づくりのためにマッサージ機の導入なんていかがですか…?
(8年目・編集スタッフ)

職場情報

過去3年間の新卒採用者数・離職者数
過去3年間の男女別新卒採用者数
年度 男性 女性
2018年度 1人 2人
2017年度 3人 3人
2016年度 1人 3人
3年以内男性採用割合:38.4%
3年以内女性採用割合:61.6%
平均勤続年数
平均年齢 32.0歳(2018年12月時点)
研修 あり:全新入社員に対し、出版、印刷等に関する基本知識、ビジネスマナー研修を入社後に実施
自己啓発支援 なし
メンター制度 なし
キャリアコンサルティング制度 なし
社内検定等の制度 あり:運転技術、地名、専門用語等業務に必要な基礎知識の検定
月平均所定外労働時間
有給休暇の平均取得日数
育児休業取得者数(男女別)
項目 男性 女性
育休取得者数 0人1人
取得対象者数 0人1人
育休取得率 100.0%
(2017年度実績)
役員・管理職の女性比率
項目 女性
役員 40.0%
管理職 100.0%
(2018年12月時点)

その他の情報

参考データ

【女性の活躍って?】 「働くことに性別は関係ある?」このメッセージを書くにあたり、まず思いついた言葉です。というのも、メディコムに入社して7年、女性だからという理由で仕事に行き詰まったり、ストレスが溜まったり・・・なんてことがなかったから。

私も社会人になる前は、前線でバリバリ稼ぐのは男性の仕事で、女性はそれを支える・・・。なんて図式が頭の中になかった訳ではないのです。ベタなイメージは、お茶汲み・コピー取り。ところが、私の考えは甘かった。そんな簡単なことでメシが食えるはずないですよね。仕事は男性社員と同等。もちろん、負ける(?)つもりもありませんが・・・。ここでの仕事は、企画を考えてプレゼンすることも原稿の良し悪しも、営業成績だって男女同権。常に男性社員と肩を並べて、時には前へ出て第一線でがんばることができるものでした。

弊社は、全社員32名のうち24名、約75%が女性です。管理職と呼ばれる人の多くが女性です。この数字を見てもらっても、女性が活躍していない訳がないことが想像できるでしょう?同じ会社の仲間や上司も、一人の人として評価してくれるので、男性・女性にとらわれず仕事をすることができます。「女性なのに頑張るね」なんて言われると嬉しいどころかカチンとくる。そんな職場なのです。

さて、もう一度確認です。「働くことに性別は関係ある?」
(7年目・総務スタッフ)
【中途採用者が当社を選んだ理由】 こんなことを書いていいのだろうかと思うくらい、私の仕事には自慢すべきものがひとつもなかった。この会社を見つけるまでは。

短大を卒業したての頃、まったく働く意欲のなかった私は、かろうじて契約社員として秘書という職種に就き社会人の第一歩を踏み出した。
秘書といえばパリッとスーツを着こなして手帳を片手に重役のスケジュール調整をバリバリこなしていく、そんなイメージがあるが、私の場合は名ばかりで、せいぜい電話対応くらいのもの。雑誌は読み放題、ネットも電話も使い放題、そんなぬるま湯につかった2年間を過ごしているときに、ガツンと衝撃が。
短大時代にいっしょに騒いでいた友人が大阪でネット関連の事業を立ち上げた。「私、こんなところで何してるんだろう」そんな絶望感がふっと頭をよぎり、アカン、このままでは廃人になってしまう、ととてつもなく将来に不安を持ち始めた。

2年の契約が切れ、とにかく何か自分の居場所を見つけないと、と思っていた矢先に家に舞い込んできたのが「生活情報紙さらら」。
今まで徳島ではこういうものをあまり見かけなかったし、なぜだかとっても気になった。
編集の仕事にものすごく興味を持っていたわけではなかったが、「さらら」の誌面から、仕事としての楽しさがものすごく伝わってきた。

とにかく実行しようと会社に電話をすると思いがけなく「今から来ませんか?」と。何もわからないまま会社に行くと、即面接。
質問に答えた私の言葉にすべて「何で?」と返され、次第に何も言えなくなってきたことを覚えている。悔しかった。本当に悔しかった。
同時に、今までの自分のレベルの低さを思い知らされた。(が、負けず嫌いの私にはこのときボボッと火がついた)

それからめでたくメディコムに入社することができ、毎日が刺激的で刺激的で何をするのも楽しかった。希望していた営業では、自転車にのって毎日何件ものお店をめぐり、次の配属のインターネット事業では、ずぶの素人でありながら画期的なサイトの立ち上げにも関われた。その後、さらら編集部で取材にかけまわったり、特集を担当したり、営業にもどって責任ある立場で仕事をサポートしたり、一番最近では「徳島ウエディング」という雑誌の編集長を務めたりもした。とにかくこの8年間、絶対ほかでは味わえないほどの様々な経験をした。

はじめに、私の過去には自慢すべきものがひとつもなかった、と書いたが、この会社に入ってからは違った。自分の仕事を誇りに思えるようになったし、人に堂々と仕事の自慢もできる。むしろ、私はこんな仕事をしています!と声を張り上げて叫びたいくらい。それくらいいい仕事に出会えたと思っている。まだまだ勉強することはたくさんあるけど、今後もこの場所で頑張っていくつもり。

仕事をするのに中途も新卒も関係ない。思いついたときに行動するかしないか、なんじゃない?
(8年目・広告営業スタッフ)
【中途採用者が当社を選んだ理由】 前の会社は2年で辞めた。
社運を賭けた商品が失敗し大きな負債を抱えた会社は危機に瀕し、社内は大混乱した。買収、リストラ、海外支社の撤退など目紛しく変わる会社の体制のなかで僕は辞表を提出した。従業員が1000人以上もいる会社がこんなにも脆いものなのか。

僕は辞める理由をその商品を開発した部署、その販売にゴーサインを出した社長、会社の混乱のせいにした。今思えば、単に不安になって逃げ出してしまったのだと思う。辞めた理由は僕自身の弱さ以外の何ものでもなかった。世間を知らないおぼっちゃんは楽観的に次の仕事を探そうとした。しかし、転職活動はうまくいかなかった。2年やそこらで自分のウリになるものをつくれるはずがなかった。
冷静な奴なら転職活動、いや辞表を出す前から分かっていただろう。僕の自己分析はあまかった。それより、根本的に仕事というものが何かすら全く分かっていなかった。
生活費も底をつき、結局地元徳島に戻ることに。25歳にして親のやっかいになることになってしまった。これは辛かった。自分で生活できないという負い目。。。職安にも行ったが専門的な知識や2年ちょっとの職務経験しかない僕は結局、0からの出発を余儀なくされた。自分には何も売り出すものがない。そう思い知らされた。でも逆にそれを認めると、ようし、捨てるもんなし!やってやろうじゃないか、なんだか力が湧いてきた。これはほんとに不思議だった。0からやります!それがその時の僕のスローガンになったんだ。

短期的でもある程度収入を確保できる臨時の行政関係事務のアルバイトをしながら、関心があったウェブや情報誌の制作をやっている会社の求人を偶然発見!0から何でもやります!がスローガンだった僕に、正社員であろうがアルバイトであろうが何でもよかった。とにかく潜り込んで始めること、そしてとにかく続けることだ。そうして入ったのがここメディコム。

アルバイトから始めたメディコム生活ももう7年。紆余曲折(笑)を経て今は正社員。編集(といってもお手伝い程度)、ウェブ(自分なりには頑張ったつもりが、結局事業中止という結果に)、そして今やっているデザイン(雑誌の創刊からデザイナーとして携われたのは何だか誇りだ)。
変わりゆく仕事とともにいろんなことを勉強させてもらった。仕事についても少しずつおぼっちゃん的発想が抜けてきてまともな考え方になってきた、と今は思う。仕事は自分のためでなく人のためにあること、たくさんの人に生かされている仕事であること、そして人の喜ぶ顔がみたい、役に立ちたいと願えばこそやる気も湧いてくる仕事であること、仕事は自分で生み出し、さらに日々の鍛錬・修学で磨きをかけていくということ、それが仕事の一番面白い部分であること。仕事の意味を知らなかった僕が発見したことだ。
しかし、これらのことを思うたびに、未だ仕事人になれていない自らの弱さにも気づかされる。そしてまだまだだ、頑張ろうと日々思う。

この7年のなかで、デザインという仕事を会社は僕に与えてくれた。そしてデザインという仕事のなかに僕は新たな自分の可能性を発見し、ずっと続けていきたいと思った。前の会社の仕事は営業だった。デザインはまったく0からのスタートになった。それでも続ければ力はつく。続ける意味に納得もする。面白くもなる。
僕のあのスローガンは今も前進の過程にある自分のなかで健在だ。誰もが最初は0からの出発なのだ。新しい仕事は俺にまかせろ! 新しい仕事を0からつくろう!
可能性を信じて、さあ始めよう。フロムゼロ。
(7年目・デザイナー)
【本音で語る私はこれで入社を決めた!】 もともと写真を撮ったり文章を書いたりするのは好きだったけれど、それを仕事にしようとは思っていませんでした。しかし、帰省の高速バスのなかで、当時創刊したばかりのタウトクこと月刊タウン情報トクシマを初めて目にし、様々なジャンルの情報がギュウギュウに詰まったその斬新さに衝撃を受けたのです。そして、採用試験の広告の「こんな人と仕事がしたい」という項目のなかの、「強心臓」と「エネルギッシュ」には自信があったため、「この会社を受けてみよう」と決意しました。

入社試験、インターンシップにて、エネルギッシュな社員の方々と話をしたり、実際に仕事の現場を見せていただいたとき、自分もこんなふうにイキイキと働きたいと改めて感じ、入社を決めました。タウトク編集部での毎日は、たくさんの人、おいしいもの、新しい発見との出会いの連続。自分の充実した日々を送っています。一方で、「締め切り中は徹夜。朝日を見ることも少なくない」、「取材でおいしいものを食べるため太った」などなど、先輩たちから聞いていた武勇伝が、脅しではなくほんとうだったと実感しました。やっぱり、強心臓、エネルギッシュでなくちゃ乗り切れなかったでしょうね。
(4年目・編集スタッフ)
【うちの会社をこう変えたい!】 1年間で200冊の新刊を発行する会社に!

この仕事をしていて、一番嬉しいのは何と言っても自分が手がけた本が完成したとき。そして、その本が市場に出て、読者からの声をキャッチしたときは極上の喜びがある。その幸せを一年に200回味わえる会社にしたいと思っている。ちなみに現在メディコムの年間発行数は約70冊。
現在、私が編集している「タウトク」は月刊誌だから、月に一度はその幸せを味わっていることになる。もちろん1冊の本が完成するまでには、いわゆる「産みの苦しみ」というヤツがつきまとう(のんびりと幸せに浸っている暇はない)。どうすれば売れるのか、何の特集がいいか、チマタで話題が爆発するような企画って? 一瞬で手にとりたくなる表紙は? 書店やコンビニで目立たせるには? 発売のタイミングはいつがいい? 本の値段は? なんて、グルグルグルグル頭を回転させながら考えるのだ。悲しいかな、そこに「答え」というものは存在しない。頭をフル回転させて、脳みそがとろけそうになったそのときに出てきた案をだいたいは採用する。たまには一瞬のヒラメキというのもあるが、それはかなりのラッキーデー。何にせよ、コレなら売れる!! という確信だけを頼りに本を作るのだ。予想とカンで勝負するところはギャンブルに近い感覚があるかもしれない。最終、本の良し悪しを採点するのは、編集長でもなく、経営者でもなく、読者だ。書店に並んだ自分の本がどんどん減っていくさまは、何ともいいようのない爽快感がある。「やったー」と両手を挙げて走り出したくなるのだ。これは経験してみないとわからない、と思う。鮮烈に刻まれたこの喜びがパワーになって、また次の本をつくりはじめるのだ。

つまりはそんなスリリングでハートウォーミングでエキサイティングな体験を一年に200回経験できる会社に、私は変えたい。
そのためには、まず人的パワーが必要。ユニークなアイデアと、それが売れるのかどうかのマーケティング能力も必要。・・・お待ちしてます!
(9年目・編集スタッフ)
【辞めたいと思った時と辞めなかった理由】 それは当社で働き始めて半年くらいのこと。私の原稿を読んでいた上司が意を決したように言った。
「おもしろくない。全く」
びっくりして、そのままトイレにかけこんだ。そして泣いた…のではなく、ずっとびっくりしていた。社会人になって初めて自分の仕事が否定されたらしいことに、「え? 今のが叱られるということなのだろうか」と自問自答しつづけた。

東京の大学を卒業し、大手企業の事務職として4年働いた。いわゆるOLの仕事で、上司に注意を受けることは全くなかった。それどころか好評価をもらっていた(…と信じていたが、きっとそうじゃなかったんだろうなあ)。
居心地のよい職場、ひとり暮らしでも十分なお給料、夕方に仕事が終わったあとは習い事をしたり、おいしいものを食べにいったり…申し分のない職場だったが、ひとつだけ不満があった。それはその仕事にやりがいが感じられなかったこと。その後、徳島県へのUターン、紆余曲折をへてメディコムで働き始めた。そして冒頭のシーンへ。
びっくりしながらも、なぜか注意した上司の口元がゆるんでいたのを思い出した。「とうとう言ってしまったなあ、(この子は)どうなるんかなあ」という感じで、明らかに微笑んでいた。それまでにもきっと注意したい場面はたくさんあったに違いない。思い出せば、私が叱られるべきときに、なぜかほかの人が注意を受けていたときもあった。けれど、「この子に言ってもいけるんかなあ」と考えて私には言えなかったのだろう…と今ではそう想像する。この出来事以降、上司は変わった。ふんぎりがついたのだろう。ほかの人と同じように叱るようになり、私はそのままびっくりしつづけていた。「私ができないって、どういうことなんだろう? 今までそんなことを言われたことはなかったのに」

こんな性根の私だから、辞めたいと思ったときは数限りない。約束を忘れる、締切が守れない、仕事を途中でほうりだす、失礼な対応をする、お客さんに叱られる…。数々の失態に、上司や同僚たちから注意を受けつづけた。そのたびにこんな会社辞めよう、と思った。

でも辞めずにきて、もうすぐ10年になる。辞めなかったのはなぜかと聞かれると、ずっと本や雑誌が好きだったから、下手なりにも文章を書くのが好きだったから…につきる。紙媒体から、知識、生きるヒント、なぐさめ、いろんなものをもらってきた。生まれてから触れてきた本が、文字が、くれた感動が、私の血と肉になっている。だから私も、この仕事を通じて人に感動や、ちょっとしたヒントを伝えることができたらうれしいと考えている。
そして、読者や広告主の方の存在も大きい。かつて辞めたい…と思っていたとき、ある信頼を寄せてくださった広告主さんの期待に応えなくちゃとがんばることで、乗り越えられたこともある。生活情報紙「さらら」の記事を読んで、勇気づけられたといってくださる読者もいる。この仕事ができて幸せ、今は心からそう思う。

ここ何年かスタッフの指導をしている。実は昨日、あるスタッフに「一生懸命原稿を書いたのに、一方的に叱られた」といわれて少し落ち込んだ。「指導の仕方が感情的」とよくいわれるのだ。注意はしているつもりだし、何年か前と比べると少しはましになっているのではと思うけれど、私にとってなかなか難しいところでもある。私の文章や企画についての指導の判断基準は、読む人が喜んでくれるか、その人でなくては書けない(思いつかない)内容か、文章に書き手の気持ちや魂が入っているか、だ。
そうじゃない場合は、腹も立つし、感情的にもなる。私自身も指導方法を模索しつつ、でも言い続けていきたいと思っている。かつての自分に何年も粘り強く指導しつづけてくれた人たちへの感謝の気持ちもこめて…。
そしていつか後輩が「この仕事をできてうれしい」と思ってくれたら、こんなにうれしいことはない。
(10年目・編集スタッフ)
【辞めたいと思った時と辞めなかった理由】 4年半、メディコムで仕事をして本気で辞めたいと思ったのは1回だけ。さらら編集部から営業部に異動になったとき、入社半年後のことです。もともとさらら編集部でずっと活躍したかったのですが「編集長になりたいなら営業も経験しないと、いい編集長にはなれない」と上司に言われ、「それもそうだなぁ・・・」と悩んだ末、営業部に異動することに決めました。

ぶっちゃけた話、「営業ぐらい私だったらできるだろう」と安易に考えていました。※当時、私は身の程を全く知らない井の中の蛙、いえそれ以下でした。
まずは、飛び込み営業からスタート。しかし、話を聞いてもらうことの難しさに初日ですでに挫折をしかかっていました。お客さんの前でうまく雑誌の説明ができない。質問されても答えられない。正しい敬語が使えないから、お店の人をムっとさせてしまう・・・。だんだんと人と話をするのがイヤになって「えーっと、あの~」ともじもじしてばかり。営業を始めて数週間がたとうとするときでも全く契約がとれませんでした。

そのうち全く仕事がおもしろくなくなってきました。「いつ辞めようか、明日辞めるって言おうか・・・」そればかり思っていました。そんなある日、「掲載用の写真を取りに行ってきて」と先輩から用事を頼まれました。お店には社長がいて、話の流れから広告のことについて質問をうけました。たどたどしい口ぶりで何とか説明を終えた後社長はこう言いました。
「雑誌おもしろいですね。プレゼンしてくださいよ。いい企画案を出してくれたら広告を出したい」。

プレゼンテーション。
私にやれと言っているのですか? 飛び込み営業で1件の契約すらとれない私が?年間企画のご案内?頭が真っ白になりながら「またご連絡をいたします」と答え逃げるようにして帰社。すぐに上司に相談をしました。上司が替わりにやってくれるとばかり思っていたのですが、いきさつを説明した後、上司たちは完全に盛り上がってしまい「うぉーー、やるぞーー。すごいの考えるぞ!」と燃えていました。その横で私はますます顔が青くなっていました。徹夜の企画書制作、プレゼン練習の日々が続きました。プレゼンの前日は先輩や上司が深夜までトレーニングに付き合ってくれました。
そして迎えた決戦の日。
脇に汗をかきながらの先方への説明後、私は何百万円という年間契約をとってしまったのです。
契約をとるということ、お金を出してくれているお客様に対して睡眠を削ってでも業界の勉強をして毎月の広告を作っていくこと、効果がでたときの喜び・・・。この仕事の楽しさを私はこのとき初めて体験することができました。真剣にお客さんのことを思ってアイディアを搾り出すこと、いかに苦しくまたいかに楽しいかを知ることができました。
それからはずっと営業部でバリバリ頑張っています!
(5年目・広告営業スタッフ)
【本音で語る私はこれで入社を決めた!】 学生時代は「やりたいこと」が今ひとつ分からなくて就職活動中はいろんな業界を受けながら、いわゆる天職を見つけたいと思っていました。
銀行、人材コンサルティング会社、商社、ソフトウェアの会社、などとにかくいろんな業界に足を突っ込んでいました。志望動機がはっきりしないので結局どこにも受かりませんでしたが・・・。
私が本当にやりたいことは何なのだろう。内定がもらえない上にやりたいことは見つからない。そんな悶々とした日々が続きました。

実は大学2年生のときからインターンシップがきっかけで今の会社でちょくちょくバイトをしていました。真剣に出版の仕事をやってみるのはどうだろうかとそのとき初めて思いました。自分が取材をしたり、原稿を書いたり、写真を撮ったり。はたまた自分が書いた記事をみんなが読んでくれる・・・。これってけっこうおもしろいかも、と思いました。
で、入社を決めました。
ここで終わってしまうとあまりに答えが安易なのですが、仕事の現場を見て、スタッフが働いている姿がやけにかっこよかったのです。

当社はたとえ編集者だとしても、営業も撮影も総務だってできなくちゃいけない。やることは毎日山のようにあって、新人のときから会議でガンガン発言できる雰囲気の会社です。やりがいをもって仕事がしたいと思っていたのでまさにここしかない!と思いました。
(5年目・広告営業スタッフ)
【新人時代一番つらかったこと】 2002年。僕は月刊タウン情報トクシマ創刊時のメディコムに入社しました。考えてみると、創刊準備に走り回ったことしか思い出せません。そんな嵐のような時期。怒号とびかう青春映画のような毎日。迫りくる〆切に追われ3日間も会社に泊り込んだことがあります。会社の床にゴザを敷いて寝ました。もちろんお風呂に入るヒマもなく「臭い!」と言わんばかりに銭湯のチケットを上司にプレゼントされたことも。だけど、「タウトク」創刊メンバーになれたことはホントに今でも誇りです。

南は宍喰の穴場ビーチへ、西は秘境祖谷の民宿へ…事務所は徳島市にありますが、編集スタッフは取材や調査に、広告スタッフは営業に駆けずり回り、日中ほぼ社内にいることはありません。メディコムでは新人も先輩も関係なく、雑誌に載っている情報=取材ネタをすべて自分の足で見つけてきています。だから【新人時代一番つらかったこと】といえばグルメ特集を担当した際、まだまだ街のコトも知らなかったので徳島でウマイと言われてるありとあらゆるグルメを試食するうち、ブクブクブクブクと太っていったことでしょうか(笑)。
ヒジョーに、ぜいたくな悩みです。ラーメンを取材して、カツ丼を取材して、またラーメンを取材して、次はロールケーキに…1日5食はあたりまえでペロリ! 60キロ前半だった体重はいつの間にか80キロに…。まるで妊婦さんのような太鼓腹をかかえ、入社当時に買った一張羅のスーツはピッチピチ…。それでも、自分で見つけてきた最強にディープなグルメ情報がタウトクに載って、ご主人直々に「粟飯原君が雑誌に載せてくれたけん行列ができたわ~。こんなん初めてじゃ!」って言われたコトは、涙が出るほど嬉しかったなぁ。

どんな記事の向こうにもアツイ血が通った、ひとつの人間ドラマがある。ふだん生活しているだけでは絶対に出逢えない素敵な人に逢えるし、その人の深い想いを多くの読者に伝えられるなんて…ものすごい仕事だと思いませんか? 僕は毎日、原稿や写真ひとつひとつに濃ゆ~い思い入れを感じては、パソコン画面の前でほくそえんでいます。「人間が好き」な人なら、必ずやりがいを感じて仕事できる職場だと思います。

路地裏での発見。そんな小さなひとつの情報でも、大勢の人や街を動かすことができる。「伝えること」の喜びを、感動を、共有しあえるアツイ気持ちをもったアナタと一緒に仕事がしたいっ!
(6年目・編集スタッフ)
【当社の卒業社員の今】 メディコムという会社は変わっています。「辞める」と言い出したら、ふつう引き留めますよね。メディコムではまず引き留められることはありません。「頑張って」と送り出されます。「今よりもっと困難なことにチャレンジしたいなら、会社に留まる必要はない」と、はっきりしています。

大手出版社に再就職し、日本中の誰もが知っている超有名なクリエイターとともに雑誌の創刊メンバーになった人。ニューヨークに移住しフォトジャーナリストとして活動する人。編集者として、広告プランナーとして、デザイナーとして、住む場所を選ばず、メディコムで得た「ゼロからモノを作っていく」経験をベースに、活躍している人が少なくありません。問題なのは、当社を辞めて再就職した方が、給料があがるって事ですね。ま、そのベースをメディコムでのトレーニングが養ったということでムリヤリ納得していますが。「うらやましい話」を聞くと、虎視眈眈と転職のチャンスをねらう輩も増えてくるわけで・・・。
(10年目・編集スタッフ)
【うちのオフィスの実態】 平日の夕方以降や土曜・日曜・祝日といった、言わば世間のお休みタイムになると、オフィス(というより事務所)には稀に小さなギャングが出没する。

原稿を書いている人にちょっかいを出し続け、それに飽きたらどこかからお菓子をもらってきてクズをこぼしながらむしゃむしゃ。スタッフ全員が仕事上のトラブル処理に追われているときも、殺気立った雰囲気などどこ吹く風でゲラゲラ笑いながら事務所じゅうを走り回る。締切まっただなかの1分1秒を争っているスタッフの邪魔をしている小さなギャングの正体は、、、、、、そう、私の子ども。6歳のやんちゃ坊主です。

彼がこれまでにやりやがった悪行の数々とは。
専務のデスクにわざとガムシロを撒き散らす。廊下に置いてある事務所案内版(マグネット仕様)をすべてぐちゃぐちゃにする。私がチェックすべき原稿に赤ペンで落書き。スタッフの机の上に置いてあったある雑貨をバラバラに分解。男性スタッフの腹にパンチ、さらに痛烈な蹴りを見舞う。丸刈りのお客さんの頭をなでまくる。
誰がどれほど叱っても、ときには手を上げてもギャングは暴れる。けれど。誰も「会社に子どもなんて連れて来るな!」とは言わない。
むしろ「ウチは、親の働く姿を子どもに見せることを推奨している」と言ってくれる。

締切期間中には、どうしても「育児」と「仕事」の両方をしないといけない時間が出てくる。そんなときに、このギャングを拒否されると私は身動きが取れなくなる。その日じゅうに仕上げないといけない仕事があるとき、かわるがわる子どもの相手をしてくれたり、席を外しているスタッフのパソコンでアニメDVDの上映をしていても、笑顔でいてくれるスタッフに囲まれている私は、本当に幸せ者だと思う。
社内には、0~6歳のギャングを育てているスタッフが7名いる。ときにはギャングが数名、事務所に集まることだってある。そうなりゃここは小さな戦場。

先日、専務が「育児スペースをつくるのはどうか」と全社にメールを送ってくれた。ちょっとしたおもちゃがあって、絵本があって、アニメDVDを置いてあるスペース。 こんな会社はきっと他に無いでしょう。育児中の人、家族の介護をしている人、家業の手伝いをしながらの人…。どんな生活をしている人も、「雑誌をつくる仕事がしたい」と思うならその思いをかなえよう。ときには社内ルールも変えてしまおう。それがメディコム。私の誇りです。
この文章を書いている今、まさに締切の時期。ほーら、遠くから誰かの叫び声が聞こえます…。またヤツが、何かしでかしたのでしょう。頭のひとつでもコヅいてくるので、このメッセージはここまでです。

最後に。
「雑誌をつくる仕事がしたい」その思いがあるか無いか。大切なのは、それだけなんです。
(10年目・編集スタッフ)
【うちの会社をこう変えたい!】 何もないところに種をまき、花を咲かせる。メディコムという会社を一言で言えば、こんな会社である。

今から10年前に会社が設立され、フリーペーパーさららの編集業務が会社の仕事の第1歩だった。私がメディコムに入社したのは、それから1年半後。11人目の社員として入社したわけだが、編集という仕事が主な事業だった当時、常務から営業をしてくれ、との指令がくだった。営業というのは、フリーペーパーさららの広告を販売する仕事であり、会社の将来を見据え、メディコムにも営業部門を持つことを決めたのだ。

入社後すぐ、求人情報誌とグルメ情報誌を手渡され、ここに広告を出しているお店や会社に営業をすることになった。私は、25歳になるまで学生という守られた環境でフラフラしていただけに、自分なら何でもできる、という変な自信があったのだが・・・。
初年度の広告売上目標は1000万円。私は社用のカブにまたがり、1日20件はお店に飛び込んでさららの広告営業を始めた。しかし・・・、どこに行っても相手にされない。1日、2日、3日・・・10日と回り続け、ひたすらお店に飛び込んでいったが、成果は挙げられなかった。営業のどしろうとがいきなり契約を取るということは無理なんだろうか、と自分の自信は粉々に砕け散ったのをよく覚えている。そんなとき、「ここに営業してみたら?」と会社の先輩が1枚の求人チラシを手渡してくれた。藁をも掴む思いで、すぐにそのお店へとカブを走らせる。すると、さららの求人広告1万円の契約をいただくことができた!!それからは、1ヶ月の契約額が10万円、30万円、50万円と増えていき、また心強い営業社員が1人増え、初年度目標である1000万円をクリアすることができた。

ゼロから始まった営業だが、熱いハートを持った社員がどんどん加わり、会社の重要な部門にまで育ったのだ。
何も分からないからやっても無理?そうではない。分からない、やったことがないことだからこそ、やってみる価値があるのだ。明確な目標を常に頭の中でイメージしていけば、絶対に達成することができる。あの1万円の求人広告があったから、小さな1歩を踏み出せたからこそ今がある。

さてようやく本題に。今の目標は、徳島でNO1の営業部隊を作るということ。徳島で事業を展開しているお店や企業から、メディコムの営業に相談すれば間違いない、と思っていただけるチームにしたい。企画力・提案力、情報収集力、顧客サポートとすべてが一流の最強部隊にしたい。これは、まさに今から取り組むべき課題である。
まだまだ進行形の会社だが、一緒に最強の営業部隊を作ってみたい!と共感していただける人は、ぜひ当社の試験を受けて欲しい。知識や能力なんていうものは後からついてくるもの。この仕事を一生の仕事として頑張ってみたい、と強く想ってくれたなら、ぜひ仲間に加わってください。
(9年目・広告営業スタッフ)
【自由人の集まりです】 学歴不問の当社には若いスタッフがたくさん勤めています。十代のうちから厳しく鍛えられ、二十歳で編集長を務めた者もいます。また元フリーター率も高く、管理職のうち70%は元長期海外放浪組です。就職しても放浪癖は脱けないようで、2週間~3週間の長期休暇を強引にとり、辺境地へとバックパックを背負って旅に出かけるフーテン社員も少なくありません。また社員旅行は、決算状況により予算を決め、少人数のグループを作ればどこに行ってもいいよ、というルールです。当社では、休暇の取り方や福利厚生も社員が自主的に決めていく風土があります。働くときは働き、遊ぶときは徹底して遊べる会社を目指しています。
(10年目・編集スタッフ)

詳細情報

主な募集職種
事務系 営業系 専門系
主な勤務地
徳島
応募資格
短大、専門、高専、大学、大学院卒業見込みの方
学歴は問いません。
採用予定学科
法学・政策系、経済・経営・商学系、社会・環境情報系、外国語・国際文化系、人文系、教育系、生活科学系、宗教・神学系、医療・保健系、芸術・音楽系、体育・スポーツ系、その他文系、機械系、数学系、電気・電子系、情報工学系、物理・応用物理系、建築・土木系、生物・生命科学系、化学・物質工学系、資源・地球環境系、農業・農学系、水産系、畜産・酪農系、商船系、医学・歯学系、獣医系、衛生医療・介護系、その他理系

連絡先

〒770-8529 
徳島市中徳島町2-5-2 新聞放送会館6階
株式会社メディコム
TEL:088-625-0911、088-625-1550
FAX:088-625-0919
mail:entry@medicomm.jp
採用担当/池田・中野渡
掲載開始:2019/03/01

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