社会福祉法人 愛知玉葉会
アイチギョクヨウカイ
  • OpenES
  • 正社員
業種
福祉・介護
その他サービス/医療関連・医療機関/スポーツ・フィットネス・ヘルス関連施設/コンサルタント・専門コンサルタント
本社
愛知
残り採用予定数
2名(更新日:2017/10/11)

私たちはこんな事業をしています

■当会は、60年を越える長い歴史を持つ社会福祉法人です■

当会は、昭和30年(1955)の創設以来、時代毎の社会ニーズに的確に対応した堅実な法人経営に努めてきました。
名古屋市守山区、岡崎市、豊田市にて23の社会福祉事業を展開。
高齢者/障害者/児童と多岐に渡り、法人全体で370名以上の職員が働いています。
年間休日数は、ゆとりの120日!
長く腰を据えて、福祉の仕事に取り組んでいただけます。

当社の魅力はここ!!

企業理念

■こんな時代だからこそ、「社会福祉」が必要だ■

当会は昭和30年の創設以来、高齢者、児童、障害と、社会ニーズに合わせ、あらゆる分野において長い歴史を積み重ねてきました。60年という節目を経た今、私たちは、社会福祉法人が本来果たすべき役割と使命をもう一度見つめ直し、新たな歴史を刻んでいきたいと考えています。創設者は、戦前から社会事業を志し、戦後は今日まで続く様々な社会福祉の基礎を築き上げた先駆者の一人でした。私たちはその理念や業績を改めて振り返り、優れた先駆性や独創性、溢れるバイタリティに学びながら、自分たちが為すべきことに真摯に向き合い、地域社会の方々にとっても、働く者にとっても安心できるような、温かみ溢れる法人運営を目指しています。

社風・風土

■「社会福祉の仕事」とは、日々の成長を実感できる場所■

日々の業務を通じ、ご利用者やご家族のみならず、一緒に仕事をする上司や同僚・後輩たち、あるいは協力して利用者への支援に当たる関係機関の人々との出会いと関わりを体験する中で、社会への貢献と人間的に大きく成長したことを実感できるのが、「福祉の仕事」の最大の魅力なのではないでしょうか。また、元来が人と関わることが好きで、他者への共感力が高いというのが、社会福祉の現場で働くスタッフたちの大きな特徴ですから、困り事や悩み事があっても、面倒見の良い上司や先輩たちに気軽に相談できますし、組織全体としても、自由闊達な気風に満ち、自分たちの気付きや考えをダイレクトに反映していける風土があるといっていいでしょう。

採用方針

■「あなたらしさに寄り添い、わたしらしく生きていく」■

私たちは、社会福祉の仕事に意義を感じ、学問や資格取得を通じて身に着けた知見を発揮して施設サービスや地域福祉に貢献していくスペシャリストから、広範な視野から福祉施設および法人全体の経営における様々な課題に対処しうるゼネラリストまで、福祉系分野に限らない、幅広い人材を求めています。また、まずは自分らしいペースで、自分で出来る範囲から関わってみたいという方も歓迎します。私たちの仕事は決して一人ではできません。職員それぞれの個性を大切に、自分も相手も同じかけがえのない存在として尊重し合い、高め合いながら、共に手を携えて前へ進んでいく。これこそが、福祉という仕事の原点であり、当会創設の精神でもあります。

みなさんにはこんな仕事をしていただきます


社会福祉施設における仕事は、施設種別や職種によって多岐にわたりますが、
各分野に共通するものとしては、おおよそ以下のような内容になります。

・日常生活における身の回りの援助(食事、入浴、排泄)
・環境整備
・利用者・ご家族への相談援助
・援助計画の立案
・外部機関等との連絡調整
・行事・余暇活動の企画実行
・生活援助/外出・自立支援(入浴のお手伝い、行事の企画や通院・買い物支援など)

会社データ

法人全体の事業内容 【高齢者の施設】
■養護老人ホーム(尾張荘  昭和30年開設)
■特別養護老人ホーム(第二尾張荘  昭和43年開設)
■併設短期入所生活介護事業(第二尾張荘   昭和61年開設)
■軽費老人ホーム(ケアハウスふれあい  平成9年開設)
■併設老人デイサービス(第二尾張荘  昭和60年開設)
■居宅介護支援事業所(第二尾張荘ケアマネジメントセンター  平成22年開設)
■単独老人デイサービス(天子田デイサービスセンター  平成12年開設)


【障害者の施設】
■障害者支援施設(藤花荘  昭和33年開設)
■障害者支援施設(第二藤花荘  平成11年開設)
■多機能型通所施設(サンワーク藤川   平成19年開設)
■知的障害者グループホーム(グループホーム藤川  平成14年開設)
■知的障害者グループホーム(グループホーム第二藤川   平成16年開設)
■知的障害者グループホーム(グループホーム第三藤川   平成22年開設)


【こどもの施設】
■乳児院(玉葉会乳児院  昭和43年開設)
■児童養護施設(梅ヶ丘学園   昭和34年開設)
設立年月 昭和30年6月
理事長 原 靖(平成24年3月22日~現在に至る)
主な事業所所在地 愛知玉葉会の拠点は、名古屋市守山区、岡崎市藤川町、豊田市梅坪町にあります。


○名古屋市守山区川東山3321
  法人本部  尾張荘  ケアハウスふれあい 
  第二尾張荘(特養、併設短期、併設デイ、居宅介護支援事業) 
  玉葉会乳児院

○名古屋市守山区天子田3-1201
  天子田デイサービスセンター

○岡崎市藤川町
  藤花荘 グループホーム藤川(藤川町字境松25-5)
  第二藤花荘(藤川町字唐澤15-7)
  サンワーク藤川(藤川町字堤ヶ入1-52)

○豊田市梅坪町5-3
  梅ヶ丘学園
THE STORY OF 愛知玉葉会・#001~法人61年の歴史 【社会福祉法人 愛知玉葉会のあゆみ】


昭和29年        法人創設にかかる
昭和30年 6月   社会福祉法人の認可を得る
           養老施設「竜泉荘」を旧守山市(現・名古屋市守山区)
           に設置開設
昭和31年 4月   「竜泉荘」を「尾張荘」に改称
昭和33年 8月   精神薄弱者救護施設「藤花荘」を岡崎市藤川町に
           設置開設
昭和34年 9月   虚弱児施設「梅ヶ丘児童寮」を豊田市梅坪町に設置開設
昭和35年 1月   「梅ヶ丘児童寮」を「梅ヶ丘学園」に改称
昭和38年 8月   養老施設「尾張荘」を養護老人ホーム「尾張荘」に改称
昭和43年 3月   特別養護老人ホーム「第二尾張荘」を名古屋市守山区に
           設置開設
昭和43年 7月   「玉葉会乳児院」を名古屋市守山区に設置開設
昭和60年10月   「第二尾張荘老人デイサービスセンター」設置開設
昭和61年 4月   「第二尾張荘短期入所事業」を開始
平成 3年 4月   「藤花荘」女子棟改築
平成 5年 4月   「藤花荘」男子棟改築
平成 9年10月   「尾張荘」全面個室化改築
平成 9年11月   軽費老人ホーム「ケアハウスふれあい」を「尾張荘」に併設
平成10年 4月   「梅ヶ丘学園退所児童支援施設」新築
平成11年 4月   「玉葉会乳児院」改築
平成11年11月   知的障害者更生施設「第二藤花荘」を岡崎市藤川町に
           設置開設・知的障害者短期入所事業を開始             
平成12年 4月   「天子田デイサービスセンター」を名古屋市守山区天子田に
           設置開設             
           「第二尾張荘および同デイサービスセンター」改築
           「第二尾張荘短期入所生活介護事業」改築に伴い定員増加            
平成14年10月   知的障害者グループホーム「グループホーム藤川」設置開設         
平成15年 2月   「藤花荘知的障害短期入所事業」を開始
平成15年12月   「梅ヶ丘学園子育て短期支援事業」を開始
平成16年10月   知的障害者グループホーム「グループホーム第二藤川」を
           設置開設
平成18年 4月   「愛のさと梅坪」設置開設
平成19年 4月   障害福祉サービス事業多機能型施設「サンワーク藤川」設置開設
平成22年 4月   知的障害者グループホーム「グループホーム第三藤川」を
           設置開設
平成22年10月   「第二尾張荘ケアマネジメントセンター」設置開設
平成26年 4月   障害者総合支援法による特定相談支援事業所開設
平成27年 6月   法人創設60周年
                
             そして、まだ見ぬ未来へ向けて・・・



THE STORY OF  愛知玉葉会・#002 法人創設の原点を探る~ 【本会の基本理念「愛するものは、愛される」とは?】

当会60年の歴史を振り返るとき、法人創設者である初代理事長・石黒幸市(1899~1993)の足跡を追わねばなりません。
卓越した独創性と先進性、そしてバイタリティ溢れる行動力で我が国の社会福祉制度拡充に先駆的な役割を果たし、長年の功績により時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世から表彰されたこともある石黒幸市は、20世紀幕開け直前の明治32年(1899)名古屋市に誕生しますが、その前半生は苦難に満ちたものでした。

時あたかも、帝国主義の時代。我が国は、明治維新以来の「富国強兵」政策を更に推進。国家予算の多くを軍備拡張と産業振興に注ぎ込み、現代のような社会保障制度を整備する余裕は全くありませんでした。
貧しい庶民にとって過酷だったそのような時代に、父を失い、幼い二人の弟を抱える母子家庭を一人で支えることになった年若い彼の様々な実体験が、その人生観・社会観に多大な影響を及ぼしたことは想像に難くありません。
彼は学業半ばで世間という荒波に漕ぎ出さねばなりませんでしたが、不思議と、出会った多くの人々に可愛がられたといい、その引き立てもあって、次第に社会で頭角を現し、やがて、名古屋市議会議員および愛知県議会議員となり、のちに県議会副議長にも推挙されています。
その陰には、本人の人柄や、刻苦勉励によって身に着けた素養があったことはいうまでもありませんが、ここで特筆しておきたいのは、彼が終生心掛け、大切にしてきた他者への「敬愛と奉仕」の精神です。

“相手に対して敬意を払い、その人の気持ちに寄り添って懸命に尽くせば、相手も必ず自分のことを認めてくれる”

「愛するものは、愛される」は、そうした精神の尊さを簡潔に表現したものといえますが、これは決して、世渡りのための薄っぺらな処世訓などではありません。
我々が生きていく上において、その道程を示すような、人として大切な真理がたくさん詰まっており、学歴も後ろ盾も無いままに厳しい社会に揉まれることになった一人の少年が実感した、血と汗のにじむ人生哲学なのです。
そして、この言葉は、そのまま当会の基本理念にも引き継がれ、今も大切な精神的支柱となっています。

「愛するものは、愛される」。
これは、「社会福祉」の現場で働く私たちにとって、全ての原点(オリジン)であり、未来永劫にわたって継承されていくべき、一つの遺産(レガシー)であるといっても過言ではないのです。

THE STORY OF  愛知玉葉会・#003 魂の継承と、更なる深化を目指して~ 【目指すは、継承と深化。そして、新たな物語に向かって】

時に昭和20年(1945)8月・・・苦しかった戦争は終わりましたが、戦禍によって国土は疲弊し、国民の多くが大切な家族や住居、家財、仕事を失い、街頭には戦災被害者、負傷兵、引揚者、孤児たちが溢れ、物資は欠乏、人々は塗炭の苦しみにあえいでいました。自身も空襲で家を焼かれ、文字通りゼロからの再起を期した石黒幸市の戦後は、そんな焼け跡からスタートします。

自身の生い立ちからか、戦前から社会事業を志していた彼は、困窮する様々な人々に対して絶えず慈愛溢れる眼差しを向け、その福祉向上のため、様々な制度構築や施策実現に尽力しました。
外地からの引揚者援護事業、戦争未亡人や戦災孤児の救済事業、また、アメリカの「コミュニティチェスト」運動から想を得た「赤い羽根」共同募金の発案と普及に努めたうちの一人となり、全国に先んじて愛知県社会福祉協議会を組織し、のちに全国社会福祉協議会副会長を初めとする様々な要職を歴任しています。
そして、増加していくさまざまな社会ニーズに対し自身の理想実現のため手掛けた壮大な事業こそが施設運営のための新たな社会福祉法人の創設であり、自身がアイディアを提案したという郵政省の『お年「玉」付き年賀「葉」書』からの寄付金によったため、法人名は、愛知「玉葉」会とされました。
守山の地に開設された記念すべき第一号施設「尾張荘」を皮切りに、岡崎市には「藤花荘」、豊田市には「梅ヶ丘学園」を相次いで開設、これらは今も当会3大拠点の中核となっています。
また、「尾張荘」に隣接し「玉葉会乳児院」と共に開設された「第二尾張荘」は、愛知県下における民間(社会福祉法人)経営初の特別養護老人ホームとして誕生し、来る2018年には開設から50周年という大切な節目の時を迎えようとしています。

高齢者、乳児、児童、障害者と対象とする分野はそれぞれ違っても、私たち法人職員一同が一丸となって目指すべきは、創設者の精神を継承し、より「深化」させていくということ。
いいかえるならば、その精神の本質をしっかりと理解しながら、「望みながら果たし得なかった」ものを探求し、新しい時代相にふさわしい形に再生させていくということです。
今、世の中は、きわめて閉塞感が強く、利己的で不寛容な方向へ流れているように思えます。
それは、創設者が生まれ育った19世紀から20世紀にかけての時代の空気と何処か似通っているような気がしてなりません。
しかし、社会福祉の仕事は、こんな時代だからこそ求められるものであり、こんな時代だからこそ、より一層輝きを放つのではないでしょうか。
創設者が生涯にわたって追い求め続けたのは、どのような時代であっても、この世に生を享けた誰もがかけがえのない存在として尊ばれ、皆が生きがいをもって幸福に暮らせる社会の創造にほかなりませんでした。
そんな創設者の理念に共感して下さる方にこそ、当会の門戸を叩いてほしい。
そして、ここでの仕事を通じて「福祉の仕事」の魅力を再発見し、新たな物語を紡ぎながら、今度はそれを、あなた自身が次世代に向け発信していく立場に育っていってほしい。
私たちはいつもそのような想いで、新たな「人財」との出会いを待っているのです。

 
THE STORY OF 愛知玉葉会・#004 「自学自習」の精神」 【「自分から進んで学ぶ心」】
社会福祉は、いつの時代であっても、それに携わる「人の力や情熱」によって成し遂げられるものであり、「人こそが主役」なのはいうまでありません。
創設から60年という区切りを経て次代を見据えようとしている当会にとっても、「優れた福祉人材の確保と育成」は最大のテーマであり、それは当会の利益のためというだけではなく、社会全体から負託された重要な使命の一つであると捉えています。
前項でも紹介したように、法人創設者である石黒幸市は学校に通って十分な教育を受けるだけの経済的余裕がありませんでした。しかし、その向学心は止みがたく、働きながら、寸暇を惜しみ「自学自習」に励んだといいます。
愛知県社会福祉協議会が設立35周年時に刊行した書物には、同会初代会長でもあった創設者を紹介した箇所がありますが、その中の一節にも「若いころから本に親しんでこられた会長は、知識人である。」とあるように、その教養知識の多くは、長年にわたる質量ともに膨大な読書によって培われました。自宅には、書斎以外にも専用の書庫があり、ジャンルを問わない多量の蔵書がうず高く積み上げられ、家族に対し「本は自分の仕事のタネ」と語っていたそうです。
また、大正時代、働きながら夜学に通い英語を学びましたが、戦後、占領軍軍政部の米国軍人らと折衝を重ねながら、ジープに乗り共に共同募金の普及活動に従事した際も、海外の進んだ社会福祉の実情視察に渡航した際にも、全く困ることが無いほどの「生きた英語力」を身に着けた「国際人」でもありました。
本人が望む形で学問を修めることはできなかったものの、書物を先生とした「自学自習」で身に着けた知見や能力がその身を大いに助けたという実体験から、「学問というのは、本人がやろうと思えば、何歳になってからでもできる」というのが、持論だったそうです。
石黒幸市と同時代の人で、「経営の神様」とよばれた松下幸之助もまた、生家の没落によって、幼くして丁稚奉公に出たために満足に学校に通うことができませんでしたが、自学自習による刻苦勉励を重ね、やがて、日本を代表する大企業を築きました。彼はこんな言葉を残しています。「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である」
話は変わりますが、
 「You can take a horse to the water,
                                 but you can’t  make him drink.
     ―馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない―」
という英語のテキストにも取り上げられる有名なイギリスの諺があります。
昨今の福祉業界では、職員の資質向上を図り、資格取得のための支援を行うことが重要とされています。特に加算要件に関わってくる介護保険事業において、その拡充を進めていくことは必要不可欠な要素となっており、むろん当会においても、そのためにできる限りの支援を行う用意があります。
しかし、まずは自分自身が、自発的に学ぶ意欲と、常に謙虚な態度で新しい知見を獲得しようとうする心掛けを持つことこそが、何よりも大切なのではないでしょうか。
社会に出てしまえば、いわば「お客様」であった学生時代とは異なり、何もかもがお膳立てされるということはありません。
仕事でもそのための知識の習得でも、自主性を持って能動的に取り組むことが重要です。
特に福祉の仕事は、人相手に行うものであるだけに、マニュアル通り、機械的にこなせるものではありませんから、自ら課題を見つけ解決しようとする姿勢は、とても大切な資質といえます。
明治・大正・昭和という3つの激動期を生き抜いた当会創設者が生前語ってきた「自学自習の精神」は、たとえ時代が移り変わっても、様々な示唆に富む教訓です。
そうした気持ちが無ければ、どのような充実した支援制度が用意されていても所詮は画に描いた餅に過ぎず、せっかく獲得した資格や知見も決して実のあるものにはならないのではないか、という気がするのです。
これからの時代を担う若い世代の人々には、ぜひ、創設者の精神性についても学んで欲しい。
そして、その真意を理解し、日々の積み重ねを大切に努力し続ける人に対して、私たちは決して、必要な支援の労を惜しむことはないでしょう。
   「Heaven helps those who help themselves.   
                  ―天は自ら助くる者を助く―」
          (サミュエル・スマイルズ 『Self-Help(自助論)』 より)
THE STORY OF 愛知玉葉会 #005 法人拠点紹介~「名古屋市守山区・法人本部」編 昭和30年(1955)6月、当会の一号施設として産声を上げた養護老人ホーム「尾張荘」(養老施設「竜泉荘から改称)は、現在の名古屋市守山区にある尾張四観音の一つとして著名な「松洞山龍泉寺」のほど近く、眼下に庄内川と濃尾平野を一望する風光明媚な丘陵の上に開設されました。一帯は、戦前の一時期には別荘地として整備されたようですが、周囲の山林と合わせ、地元の方々から寄付いただいたこの広大な土地が、現在複数の施設によって形成される本部拠点の原型になっています。

名古屋の北東地域に位置し、市内16区最大の面積の守山区は、昭和38年に名古屋市に編入される前は守山市といい、明治から昭和にかけて周辺の複数の町村が合併してできた市でした。
名古屋市内で最多の古墳が周囲に無数に存在していることからもわかるとおり、その歴史は名古屋市内の他の地域と比べはるかに古く、一帯を治めた豪族・尾張氏の本拠であったと考えられます(施設名の由来ともいえます)。
安土桃山時代には、本能寺の変で斃れた織田信長死後の覇権をめぐって、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍が対決した「小牧・長久手の戦い」の重要な舞台となった土地でもあります。
また今日も広大な小幡緑地公園をはじめ、名古屋市内とは思えない大変豊かな自然に恵まれていますが、尾張荘開設当時、付近にはわずかな農家が点在するのみであり、野兎やキジ、タヌキやキツネなどの野生動物が無数に生息し、その分、近代化からは乗り遅れ、また、戦後まだ10年という物資の乏しい時代にあって、施設建設は困難を極めたそうです。
今では当たり前になった電気、電話、ガス、水道といったライフラインも自前で準備しなければならず、特に丘の上ということで掘るのに相当苦労したという井戸は、今も現役で立派に活躍しており、これも先輩たちから引き継いだ大切な遺産の一ついえるでしょう。
当初、定員40名、職員数は施設長以下6名という小規模でスタートした「尾張荘」は、現在では定員180名全個室という大きな施設になっていますが、十分な予算がつかない時代の福祉施設運営は本当に大変で、当時を知る人の話では、まさに創意工夫の連続による自給自足の生活。職員と利用者が一緒に汗を流しながら、畑仕事や敷地内の整備をしたそうです。
ついで、昭和43年、尾張荘の南側に二つの施設がほぼ同時期に開設されます。
そのうちの一つが、2018年に開設から50周年を迎える愛知県下最初の民間経営の特別養護老人ホーム「第二尾張荘」であり、もう一つが同じく50周年を迎える「玉葉会乳児院」です。
更に新規開設の施設としては、平成9年の尾張荘全面個室化改築工事に併せて開設された軽費老人ホーム「ケアハウスふれあい」があり、第二尾張荘および玉葉会乳児院は、平成10年から12年にかけて全面改築され、これによって、すべての本部施設がリニュアルされています。
また、平成12年に開設された「天子田デイサービスセンター」は、本部拠点から離れた守山区南部を制する重要拠点として、当会介護保険事業の一翼を担っています。


陽当たりの良い丘陵上にあって、災害に強く、環境的には大変恵まれた立地にある本部施設ですが、かつての唯一の欠点は、車以外では非常にアクセスが悪かったことにありました。
戦前この地には、龍泉寺参拝者のための鉄道路線が引かれる計画があったようでしたが、結局実現することはなく、はるか後年、平成13年開業の新交通システム「名古屋ガイドウエイバス(ゆとりーとライン)」誕生によって、この計画が形を変えて日の目を見ることになります。
高架上の道路を毎時10分おきに専用バスが走るという全国的にも大変珍しい「ゆとりーとライン」によって、名古屋市北東部最大のターミナル駅である大曽根駅(JR中央線、名鉄瀬戸線、名古屋市営地下鉄が乗り入れている)から、渋滞無しの13分で本部施設正面の「小幡緑地駅」に到着するという便利さです。
また、名神高速春日井IC、名古屋都市高速に接続する名二環・松河戸ICにも近く、車でのアクセスも大変良好、県営名古屋空港へも30分という距離にあります(更に守山SA内に平成30年春開業予定の「守山スマートIC」が建設中)。
こうした様々なインフラ整備に伴い、宅地化・都市化が近年急速に進み、隣接する春日井市、尾張旭市、瀬戸市、長久手市などの周辺都市も含め、魅力的なスポットがどんどん増加中!

働くにも、また、住むにも、実はとっても快適・便利な守山の地。
ぜひ一度、当地まで足をお運びください!
THE STORY OF 愛知玉葉会 #006 法人拠点紹介~「岡崎市藤川町」編 【東海道五十三次、三十七番目の宿場である藤川宿。
  400年の時を超え、昔ながらの人情味あふれるこの地でふれあいを感じて】

時は流れて時代は変わろうとも、人とのつながりはいつも変わらずに温かいもの。
ふれあいを大切に、人情味あふれる地域で昭和33年8月に開設された藤花荘から、真綿を紡ぎ出すように人の手から手へとつないできた温かい支援。あなたの温かな手で、新しい社会福祉の未来を紡いでみませんか。この地域で、この施設で、あなたの何気ない笑顔で、先輩職員とともに利用者のみなさんに寄り添ってみませんか・・・


当会の大切な拠点のひとつ、岡崎市藤川町は、徳川家康が誕生した岡崎城下から、国道一号線を南へ下った旧東海道の松並木が今も残るかつての宿場町。
更に少し南へ向かうと、家康の祖父・松平清康の居城であった山中城址があるなど、本部のある名古屋市守山区同様、歴史的ないわれが多く残る一帯といえます。
「尾張荘」開設から遅れること3年後、この地に当会二番目の施設として誕生したのが「藤花荘」です。尾張荘開設の際にも配分を受け、当会の名の由来ともなった<お年玉付き年賀葉書>の寄付金を再び受けることになった県と当会が、本省からの助言も踏まえて建設に着手したのは、精神薄弱者(知的障害者)のための施設でした。
当時の岡崎市長から自身が所有する丘陵上の広大な土地の提供を受けましたが、その丘の上に大きな藤の木があり、また、町名にも「藤」がついていることから、当時の県知事の助言もあって、その新施設は「藤花荘」と命名されました。
この山は今も樹木が豊かですが、将来実がなる木を植えておこうということから、梅と、イチョウの苗木を百本も植えたそうです。残念なことに、野兎が梅の苗木を食べてしまったために、この梅の木は実を結ぶことはありませんでした。
しかし、この時の創設者たちの想いは、確実にのちの世代に受け継がれ、後年この地で根付いた小梅の実は、毎年おいしい小梅漬けとなって、「藤花荘」初夏の名産品として親しまれています。

その後、同じ藤川の地に、「第二藤花荘」が誕生。
また、地域で生活される利用者のみなさんの住まいとして、3つの「グループホーム藤川」が整備され、多機能型施設「サンワーク藤川」と合わせて、障害をもつ様々な利用者のみなさんのニーズやその可能性を受け止める大切な場所として、地域に深く根付いているといえるでしょう。

ここで、法人の理念「愛するものは、愛される」の精神に基づくそれぞれの施設の基本理念をここにご紹介しましょう。


心豊かに ひかり輝いて 【藤花荘】

いたわりあい たすけあい おだやかに ともにくらす  【第二藤花荘】

ひとりひとりの成長と可能性を信じて  【サン・ワーク藤川】

地域の中で生き生きと  【グループホーム藤川・第二藤川・第三藤川】


現代社会において、人とのつながりに煩わしさを感じて希薄になろうとするも、何かを求めていることに、ふと気づかされるものです。
掌にあるスマートフォンではるか彼方までつながっているようにさえ感じる中、顔を上げてみることを忘れてしまいそうですが、その何かが目の前の誰かの笑顔であったり、差し出されている誰かの手であったりしませんか?
福祉はただ求められているだけではありません。
あなたが求めているものがここにはあり、ここで働くことで心が満たされることがあるかもしれないのです。
また、先輩方や利用者自身と接すること、地域とのつながりを通じて、その仕事のやりがいや意義を感じ取ってもらえると思います。
あなたが、自身や家族、友達との思い出を懐かしむことが楽しいように、利用者との日々のふれあいに同じ感情を持つことができる最適な仕事であり、長く続けられる素敵な環境と言えるのではないでしょうか?

まずは、私たちの想いに共感していただけるか。
迷っているあなたこそ、ぜひ、一度利用者、職員に会いに来てください。
そして、見て聞いて、感じてみて下さい。
私たちはいつでも、利用者の皆さんと一緒に、満点の笑顔で待っています!!

連絡先

■リクナビ2018担当者
〒463-0006
愛知県名古屋市守山区川東山3321番地
担当/ 渡辺(第二尾張荘)  
【電話】 052-794-1611
【E-mail】 k-watanabe@gyokuyokai.com


掲載開始:2017/03/01

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