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特集001|イノベーションを起こすための、仕事術。

次の世代を湧かせたとき、この3Dディスプレーによるイノベーションは完結します。 株式会社東芝 研究開発センター マルチメディアラボラトリー主任研究員 兼エコテクノロジー推進室参事 福島理恵子

INTRODUCTION
"3D元年"と言われた2010年。ハリウッド製の3D映画が興行記録を塗り替えるなかで、その圧倒的な"立体感"をリビングで味わえる3Dテレビが各社から発売された。TOSHIBAも市場に参入したが、一つだけ目玉となる特徴を備えていた。"グラスレス"。専用メガネを必要としない世界初の"幸せ"だった。製品化は、道なき道をゆく旅。ただ、道があると信じる者に女神は必ず微笑む。入社15年目のワーキングマザーが成し遂げたリーディング・イノベーションに、世界中が眼を丸くした。

はじまった
イノベーションと私の闘い。

CEATEC2010に設けられた展示ブースの前にできた120分待ちの行列。ディスプレーを見る来場者の"判定"に、距離を置きながら私は恐る恐る耳を傾けた。「メガネ無しって、やっぱりいいね」感無量というより、安堵感の方が大きかった。2010年10月、メガネ無しで3D映像が楽しめる世界初のテレビ、"グラスレス3Dレグザ™"発表。会場には、30社以上の海外メディアも詰めかけていた。「3Dが家電の主流になるには、専用メガネを無くさないといけない。この製品が起こしたのは、まさしくイノベーションだ」 研究者として入社し15年。振り返れば、世界初の製品誕生に繋がるこのプロジェクトに加わる以前、当時の私が挑んでいたのは、"自分自身"のイノベーションだった。

自分が進む方向を決められる喜び。

入社して6年間、私は液晶ディスプレーの材料研究に従事していた。試作・検証に関するノウハウは貯まっていった。ただ、研究者として尊敬して止まない上司や先輩たちと較べては、自分の力不足を実感する。「福島さん、将来は自分で研究テーマを発案して独り立ちするんだよ」 そう言われても、どうやったらそういう研究者に成長できるのか見当もつかない。「このまま研究者としてやっていけるだろうか」 勝手に委縮してゆく私。暗中模索の日々だった。「せめてプライベートは思い描いたとおりに・・・」 1つ年上の大学時代の先輩と結婚。幸い娘も授かった。産休・育休が、自分が進むべき道についてじっくり考える時間を与えてくれた。「やりたいことがあればチャレンジできる環境があるのに、何を悩んでいるんだろう」自分はとても恵まれた環境にいる。改めてそう思った。運命の研究チームに配属されたのは、職場へ復帰した時。仕事をすることを自ら選んで復職したという思いが、仕事に取り組む姿勢を主体的なものに変えてくれた。

意志がなければ、
乗り越えられない壁がある。

人間の目は、左右で少しずつ異なる角度で物を見ている。この角度の差を"視差"と言い、3D映像はこれを利用して脳内に再現される。専用メガネはその必須アイテムだった。開発途上にあった裸眼3Dディスプレーを前に、議論が続く。「3Dディスプレーを世の中の主流にするために何よりも大事なことは、"自然で見やすいこと"だ」そのためには、専用メガネを無くすとともに、鑑賞範囲の"狭さ"を克服する必要がある。自分はこの一点を課題と見定め、一つのアイデアを思い付いた。「ディスプレーはそのままに、ディスプレーに表示する"画像"を工夫をするだけでいいのでは・・・」ノートに書いた説明図をチームリーダーに見せた。「よし。すぐ実験してみなさい」液晶パネルに設けたレンズシートが、画素ごとに異なる方向へ光を向ける。観察者が3D映像を見るために必要な光を選んで再生するように、全ての画素の輝度情報を決めるというアイデアだった。「凄いぞ。3D映像が見える範囲が倍以上に広がっている」。入社後6年間取り組んだ液晶ディスプレーに関する知識が生きた。視野の狭さは、過去の壁に。しかし、さらに高く険しい壁が待っていた。"製品化"だ。「TOSHIBAから世界初のメガネ無し3Dテレビを出そう」経営トップのGOサインが出る。5人で始まった研究チームは、事業部も横断する大きな組織へ。量産するためには、二律背反の信頼性と製造コストに折り合いをつけなければならない。製品の構造を立案し、問題を一つひとつ潰していく。その過程において、私は研究所側のリーダーを任された。「福島さん、今の仕様では画質の低下が避けられません」 「福島さん、もう少しコストをかけないと製品にできないのでは?」 ギリギリのラインを攻めるほど、思わしくないデータは増えていく。「私より、他の誰かがリーダーを務めた方が上手くいくかもしれない」。心の中で呟いたこともあった。ただ、誰かが描いたシナリオの一部を担当するのでは、どんな結果もきっと受け入れられない。最後まで責任をもってやり遂げたい。そう思った。そして、そんな自分を支えてくれたのは、他でもないメンバーだった。「解決策はきっとあるはずです。できる限り頑張りましょう」経験に裏打ちされた知見とともにアイデアを持ち寄ってくれるメンバー。誰よりも考え抜くという気持ちで、得られたデータと対峙した。会議の席で考察を添えて説明することで問題を共有し、解決策が出るよう努めた。思えば、バブル崩壊後の就職氷河期。自分なりに探した中で、女性を研究職でも採用していたこの会社に、私はこうアピールした。「論文よりも、実社会で使ってもらえるモノを作りたいんです」その意志を貫きたかった。一緒に取り組んでいるメンバーのためにも、自分のためにも。

研究したいのは、
今の時代だからこそ取り組むべき課題。

発売された"グラスレス3Dレグザ"は、数々の賞に輝いた。CEATEC2010の米国メディアパネル・イノベーションアワード・グランプリ、2011年 文部科学省 平成23年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門)、ウォール・ストリート・ジャーナル主催のASIAN INNOVATION AWARDS 2011での技術革新賞、・・・。ただ、私が得たものは、賞だけではない。「組織で挑むからこそ、起こせるイノベーションがある」研究開発を個人戦だと思っていた自分が、団体戦の喜びを味わえたことこそが、かけがえのない大きなものだった。今後は解像度の向上やパネルの大画面化で、さらに商品力を上げたい。そして、医療や教育といったエンターテイメント以外の分野での可能性も追究したい。自分の子供たちの世代に何を残すべきかを考えながら。「ママが作ったテレビだね!」 10歳になった娘への発表会。ケーブル類を繋ぎ終えると、娘がスイッチを入れた。 「どう?」 「ママ、頑張ったね!」感無量だった。

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