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特集001|イノベーションを起こすための、仕事術。

厚さ40µmの圧電セラミックス。厚さ0.9mmのフィルムスピーカ。ちっぽけなコイツが歴史を変えた。 日本電気株式会社 システム実装研究所 主任研究員 佐々木康弘

INTRODUCTION
人間が原子の種類やその配列を制御して特性を生み出す機能性セラミックス。それはヒトの意思と知恵を内包した"生きた物質"だ。佐々木は約17年をかけ、電気エネルギーを機械エネルギーに変換する圧電セラミックス振動子と圧電駆動源の振動を効率よく増幅する振動拡大機構を研究。厚さ40µmの圧電セラミックスを動力として携帯電話の着メロや音楽をきれいに再生できる超薄型フィルムスピーカ/アンプ/音響設計技術を開発した。佐々木式スピーカの厚さは従来の1/3以下となる0.9mm。この成功が携帯電話のパラダイムを変える。2011年、佐々木は文部科学大臣表彰・科学技術賞を受賞した。

ウルトラCの突撃作戦、失敗か?

「おい、おまえはひょっとしてウチの社員じゃないか?」まずい。バレてしまった。声の主は、私が接見を熱望していた超多忙な携帯電話事業部の開発責任者、高師さん。時は2002年11月。場所はアポをとった取引先の部品メーカーがズラリと並ぶ受付フロア。私は2週間連続でそこへ通っていた。お客さまを装って高師さんを"出待ち"し、「1分だけ時間をください!」と訴える作戦だったのだが……呆れ顔の高師さんが続けた。「根性あるなぁ、おまえ。よし。夜にまた来い。話をきいてやる」私はある直談判をしに行ったのだ。「世界でいちばん薄い携帯電話をつくりましょう、搭載スピーカを1mm以下まで薄くできる圧電セラミックス技術と振動音響設計技術を見出しました、しかしまだまだ構造研究が必要なので投資をお願いできませんか」という直訴。10年以上にわたる基礎研究を経ての確信だった。再会したその夜、私は構想を伝えた。だが、高師さんは頷かない。携帯電話事業部はパーツではなくプロダクトをつくる部門である。自社投資というリスクは冒さず部品デバイスは部品メーカーから調達すればいい。しかし私には譲れぬ信念があった。製品の差別化はいつだってデバイスの差別化から生まれる。ゆえにキーとなるデバイスは自前でつくるべし。私は愚直に想いをぶつけ続けた。最後に人を動かすのは理屈じゃない。こいつに賭けてみようと思わせるだけの情熱である。高師さんが唸った。「商品化するまで逃げずに、24時間オレたちと戦ってくれるか?それならオレが工場を用意してやる」山が、動いた。

薄いだけじゃ意味がない。最薄、かつ、最高を。

2003年4月。原型開発と原理実証の日々がはじまった。めざすは音質・音量・衝撃耐久性すべての実用性を満足させる世界最薄の圧電セラミックススピーカ。自称<圧電フィルムスピーカ>だ。当然のごとく、数々の困難が立ちはだかった。濁音を生じやすい。高音が出すぎる。落下などの衝撃に弱い。「佐々木がやろうとしていることは原理上不可能なんじゃないか?」そう言われることもあった。しかし"世界初"は常に"一見不可能"から生まれる。私は毎日のように試作品をつくって事業部側へ持ち込み、音響責任者と一緒に評価した。果たしてどれだけつくっただろう。2000個か?3000個か? 2005年12月。ようやく事業部側の最終テストにこぎつけた。これにパスすれば商品設計と量産化に入る。テストはある金曜に埼玉工場で実施された。しかしその当日、私はどうしても外せない別の仕事で山形の米沢工場にいた。極度の疲労困憊に見舞われながら。実は、私には長く看病を続けてきた入院中の母がいた。容体のよくない母を気遣いながら仕事に打ち込んできたため、身心ともに限界を迎えつつあったのだ。米沢の空を闇が支配しはじめる頃、私の携帯電話が鳴った。「衝撃耐久性に疑問を感じる。埼玉に来られるか?」私は米沢工場を後にした。山形新幹線に乗る。夜の闇はどんどん深まってゆく。大宮駅に着いた。埼玉工場へ行くにはここで乗り換えねばならない。このまま東京駅へ直進すれば、自宅で休み、翌土曜日の朝に母へ会いに行ける。私は、はじめて、一瞬、迷った。しかし何かに導かれるようにして、気づけばホームに降りていた。体が重い。気分も重い。きっと埼玉工場内の空気も重いだろう。工場に着く。扉をひらいて中へ入る。すると、一斉に明るい声がふりかかってきた。「佐々木が来たぞ!」「これで鬼に金棒だな!」そこにいる全員が私を信じてくれている。私は徹夜で問題の解決にあたり、再テストをパスさせた。以後このプロジェクトは社外を含め100名が動員されるビッグプロジェクトになってゆく。その中には「私たちも一肌ぬぎましょう」と言って、莫大な投資をして、スピーカを駆動させる最新デジタルLSIを開発してくれた半導体メーカーさんもいる。情熱は伝播する。強い意思と想いをもって自らの構想を訴えれば、立場や会社を超えてたくさんの人が駆けつけてくれる。この人たちと成功したい。成功していつか共に祝杯を交わしたい。この気持ちが私の原動力となった。

「おまえ、逃げなかったよな」

2007年2月。NECの世界最薄折りたたみ携帯電話がリリースされた。その中には私たちのちっぽけな血と汗の結晶が入っている。リリース後、すぐに私は製品のパンフレットをもって病院へ急いだ。ベッドで静かに眠り続ける母。その胸の上にそっとパンフレットをおき、無言の報告をした。『やりきったよ』圧電フィルムスピーカは、携帯電話の常識と歴史を変えた。それは現在の携帯電話はもちろん、パソコンなど他製品の中でも生きている。あの時の仲間たちとは、今でも年に1回は集まって飲む。そして世のオジさんたちの習性どおり、何度も同じ話を繰り返す。高師さんも例外ではない。酔いがまわると、彼はいつも口にする。「おまえ、逃げなかったよな。だからオレも逃げられないと思った」私はもういちど生まれ変わっても、迷わず技術屋の道を選ぶ。

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