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特集001|イノベーションを起こすための、仕事術。

信頼と信念は企業の壁を越える。日本のオヤジたちの挑戦を、あなたは笑うか。泣くか。 旭硝子株式会社 京浜工場 設備技術センター 所長 尾形裕

INTRODUCTION
自動車用ガラスは、その要求透明度や平坦度で他の用途と一線を画す。視界の歪曲は、人命にかかわりかねないからだ。一方、ガラスは「生もの」と言われるほど理論化が困難なアモルファス(非結晶質)。そんな気まぐれな相手を理論でねじ伏せ、ボタン1つで自由に制御できたら。そんな長年の技術者たちの夢に、先人たちのバトンを受け継いだある男が立ち向かう。情熱に応えたのは、大学で電気工学を学び、「グローバル」「少数精鋭」という言葉に惹かれて入社した、当時8年目の尾形だった。

工場の休憩室で生まれ落ちた未来のタネ。

私が大学院に進む前。1987年に横浜の片隅にある工場の休憩室で、未来のタネが生まれ落ちようとしていた。「この制御ができれば、ジョブ・チェンジがボタン一発でやれるな」「やれたら世界の誰も太刀打ちできないな」自動車用ウインドーガラスは曲面でできている。その曲がりを精緻に出すため、当時は型でプレス成形していた。そのため製造品種が変われば、型変更の作業に丸一日を費やしていた。だが、彼らの構想は型を使わず、ローラーの制御のみで熱したガラスの曲率を変えること。「夢みたいだな」「夢だね」機構はできたとしても、そのあまりに複雑な制御を可能にするコントローラなど当時の処理性能ではあり得なかった。未来のタネは、そうして時代を待つことになった。先人たちの夢として。だがいつか必ず魂を受け継ぎ、花を咲かせるだろう後進たちを信じて。

日本、大不況時代。
「今だからこそ打って出るんだ!」

1997年。タイでの工場建設プロジェクトから帰国した私を、T部長が手ぐすね引いて待っていた。入社2年目、鹿島工場で設備設計をしていた頃、ふらりと本社からやってきては私の図面を真っ赤になるまでダメ出しした人。私に設計の理想を叩き込んでくれた熱い人。それがT部長だった。「エンジニアリング部の実力を世に示したい、さらなる革新的な技術開発のため武者修行も必要、おまえ行ってこい」時代はバブル後の大不況。世間が縮小に血道をあげる中、T部長は「今だからこそ、未来のために外へ打って出るんだ」と、会社を説き伏せたのだ。恩もある。だが、その情熱に私は応えたかった。「行きます!」「あっちで例の新工法も確立させてこい」例の工法。それが先人たちの夢、ローラー制御の新工法だった。そうして私はエンジニアリング関係会社へ移り、そしてさらにパートナーシップを組む国内電機メーカーへ出向した。そこにもT部長のような神がいた。制御の神。深く信頼しあうその神とT部長の未来へのビッグビジョンで、このプロジェクトは火蓋を切る。近い将来、採算の取れる見通しもまるでなく、現場にとってはリスクばかり。信じるのは先人たちが描いた未来図、そして情熱だけだった。

うずたかく積もってゆく試作ラインの屍。
しかし、私たちには意地がある。信念がある。

「俺、でかい仕事やってるなー!」出向した電機メーカーで私はサッカースタジアムや劇場のルーフ開閉システムを手がけていた。モーションコントローラでモーター500台を完全に同期・協調制御する。『これなら新工法もイケるかもしれない・・・』畑違いの仕事をしながら私は思った。自動車用ガラスは人命にも関わるため、その要求品質はすさまじく高い。例の新工法は、各ローラーをそれぞれ独立モーターで駆動させて品種ごとのRを自由に出しつつ、ガラスの要求品質をクリアしなくてはならない。したがって、限界までローラー間のピッチを狭めること。つまりローラーの数を増やして、それを完璧に協調制御することが命題なのだ。しかも、基本的に24時間365日稼働し続ける生産ラインでフリーズは許されない。「そんなバカなコントローラどこにあるんだよ!」電機メーカーの仲間たちは天を仰いだ。「でもさ、誰もやらない事だからこそ、やり切れば誰にもマネできない競争力になるぜ」だが、現実は想像を絶していた。試作ライン。止まるコントローラ。うなだれる私たち。同じ光景が数えきれないほどくり返された。「どうでしょう・・・?」やっとできたガラスを手に製造の神と言われるベテランオペレーターが言う。「ダメや!お話にならん!」そしてまたローラーは増加し、その速度制御は精緻化し、必然的にコントローラは複雑になってゆく。ガラス製造技術、機械、電機、ITあらゆるものの総合芸術とも言える挑みは、技術屋の意地と未来への信念だけの勝負になっていた。

神たちの美学に惚れこんだ。
そして最高の美酒に酔いしれた。

「・・・」製造の神がガラスを手に取る。言葉を待つ私たち。「うーん・・・こりゃいいガラスだわ!」「ありがとうございます!」無謀な挑戦は終わり、そして新工法は日本と世界5ヵ国の工場で、言葉も文化も違う人々を助けることになった。ガラス製造の歴史が変わった。涙が出そうだった。ある日、私はひとつの話を聞いた。もう無理じゃないかと思われた頃、プロジェクトのリーダーが製造の神に聞いたそうだ。「もう、これダメなんじゃねえか?」彼は言ったという。「いや!こりゃモノになります!」と。もし、彼があきらめていたら、この日は永遠にやってこなかったかもしれない。いや、そもそもT部長をはじめとする先人たちの未来への信念がなければ、未来は永遠にやってこなかっただろう。品質にOKが出た晩、私は電機メーカーの仲間たちと、しこたま飲んだ。企業の壁を越えて、チームがひとつになった最高の酒だった。信頼と信念で、立場も何もかもを超えて結ばれた、この日本らしいプロジェクト。そこには、地味だが最高にカッコいいオヤジたちがいた。私は今も彼らの背中を追っている。

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